高千穂──アマテラスと火山を結びつける夜神楽の町
そもそも私の脳内で、アマテラスと火山が結びついたきっかけは、今から十年くらいまえ、有名な夜神楽を見るため、宮崎県高千穂町に行ったことでした。高千穂町は、阿蘇によって形成された火山的な風景によって特徴づけられているからです。
どこかの国の政治家ではありませんが、記憶が不鮮明になりつつあることなので、思い出しつつ、記録をのこしておこうとおもいます。
二〇〇七年一月十四日というと、だいたい十年まえ
調査でも取材でもなく、気が向いて、ふらーっと夜神楽を見るために訪れただけなので、きちんとした記録をしていません。
新聞記者時代の習性で、メモをズボンの後ろポケットに入れていたとみえ、簡略なメモだけのこっています。
五時にバス停川内に到着。タイコの音がして、神社から降りてくる行列とあう
この行列について行き、神楽の舞台となる場所に向かったようです。
そこは、立派で古風なつくりではありますが、ふつうの民家でした。
障子、ふすまを撤去して、神楽の舞台がつくられていました。「神楽宿」というそうです。
高千穂町では、十一月から二月にかけての毎週末、集落ごとに夜神楽が行われます。
デジタル写真の日付をみると、私が見学したのは、二〇〇七年一月十四日です。
十年まえ、ブログのネタのことなど、考えてもいなかった
同じく、メモによると、
十時にうどん、一時におしるこ
と書かれています。
見学者、観光客もふくめて、その場にいる全員に配られました。
もちろん、十時というのは午後十時、一時は午前一時です。
文字どおり、夜を徹して、神楽の舞が演じられます。
残念ながら、うどん、おしるこを撮影していません。
二〇〇七年というと、ツイッター、フェイスブックはもとより、ブログもそれほど普及していなかったのではないでしょうか。
もちろん、私も自分でブログをやることなど考えてもおらず、ブログの写真としては格好の夜神楽のうどん、おしるこを撮影する機会をのがしているのです。
なかなか、行く機会のないところなのでモッタイナイ話です。
十年まえの私には、ブログのネタのために写真をとるという発想がまったくなかった──ということを立証する事実です。
この十年のデジタル的な環境変化を再認識させられます。
太陽の復活を朝日によって表現する夜神楽の演出
情けないことに、メモには神楽そのものについての感想、コメントなど、ほとんど見えないのですが、思い起こしてみると、観光客にすり寄るわかりやすい神楽ではありませんでした。
アマテラスが岩屋に隠れて、永遠の夜が訪れた「岩戸神話」が、夜神楽の全体を貫くテーマであるそうですが、けしてわかりやすい〈お芝居〉にはなっていません。
三十三の演目があり、その全体で何かを象徴しているにかもしれませんが、現代人がみて、すんなり理解できるという感じはしませんでした。
私は研究でも取材でもなく、単なる見物客でしたから、午前三時、四時ごろには、半ば眠りこけており、時々、意識が戻って、まだ続いていることを確認するくらいでした。
突然、神楽の会場である家の中に光がさし、はっと目が覚めました。
一瞬にして、暗闇が、光に満ちた世界に変じていました。
私がうつらうつらとしているうちに、夜は明けていたのに、雨戸か幕かで閉ざされた室内は暗く、それに気がつかなかったのです。
太陽の女神アマテラスの復活が、朝日によって象徴されているのは見事な演出ですが、予習不足で、そのことをまったく知らなかった私は心底、驚き、感動しました。
太陽の復活を祈るための神楽は、朝の光によって変調し、再生した太陽への感謝の舞が演じられます。
ここからが、夜神楽のクライマックスとなります。
メモには、夜神楽が終わったのは午前八時半で、八時四十五分のバスに乗る──と書かれています。
阿蘇火山がつくりあげた神秘の景観
高千穂町は宮崎県ですが、熊本との県境にあって、阿蘇の南東のふもとにある町です。
私が高千穂町を訪れたときも、羽田から阿蘇くまもと空港まで行き、そこから高千穂町行きのバスに乗りました。
阿蘇の風景をバスの窓越しに見ながら、二時間ちかく、走ります。
阿蘇は九万年まえに、日本列島のほぼ全域に火山灰を降らすような超巨大噴火を起こしており、高千穂町はそのときの火砕流でできた台地に位置しています。
高千穂町を代表する景観は、阿蘇火山の噴火によって形成された柱状節理です。
高千穂町には火山にかかわる風景があり、アマテラスの物語が神楽として演じられています。
もちろん、天孫降臨の伝説地のひとつとしても古来、有名なところです。
火山と古事記をテーマとする取材旅行ではなく、観光で訪れただけの高千穂町ですが、阿蘇火山がつくりあげた風景はきわめて印象的でした。
十年、ひと昔。こんな時代です。
高千穂町の天岩戸神社の宮司・佐藤延生さんによるこんなコメントによって、火山と古事記神話のつながりが語られていることがわかります。
これ全部この地方の岩というのはこれは 阿蘇山から流れ出た溶岩でございます。
ですのでそういう溶岩が、このあたりまで流れ出て来る程の大きな爆発が何回かあって そのひとつが人間と話でずっと伝えられて、で、後々人間の神様が登場してきて人間の神様とこの阿蘇山の爆発が合体して 語られていって日本書紀、古事記の神話の中に 書かれていると。
『火山で読み解く古事記の謎』本日、発売開始。なんと、電子版も同時発売!
桃山堂・蒲池明弘の著書『火山で読み解く古事記の謎』が、文藝春秋社の新書として刊行されるということは先に紹介しましたが、アマゾンなどネット書店では本日、販売開始となりました。まだ、見ていませんが、主な書店では本日から並ぶという話です。
電子書籍をメインテーマとする当ブログにとって興味深いのは、『火山で読み解く古事記の謎』の電子版も同じく本日、販売開始となっていることです。
桃山堂として、はじめての電子書籍を出したのは二〇一四年ですが、アマゾンキンドルの上陸するまえから、調査・研究をはじめていたので、当時の雰囲気はなんとなくわかります。
今から六、七年まえだと思うのですが、電子書籍にかかわる情報交換会とかセミナーなどに時々、参加していました。
日本でなかなか電子書籍が普及しないのは、大手出版社が新刊書の電子化をしぶっているからだ──。電子書籍にすでに携わっている人たちが、そんな議論をしているのをしばしば聞きました。
新刊発売から三か月あとの電子書籍化というのは、まだ良いほうで、新刊から一年後だとか、なかには作家の先生が電子書籍を嫌がって、電子化されない作品もすくなくない、という話も出ていました。
最近は、電子化されるタイミングが早まっていると聞いていましたが、自分自身の体験として、紙の本、電子書籍の同日発売を目の前で見ると、この数年の変化の速度を改めて感じます。
もちろん、ジャンルだとか出版社のスタンスで、紙の本と電子書籍の発売時期の関係はケースバイケースだとおもいます。
新書には、イギリスのEU離脱、トランプ政権の誕生など、時事的なテーマをすばやく書籍化する機能もあるので、たぶん、紙の本と同時に発売する合理性があるのだと推察されます。
本屋さんが店をあけるのは、午前十時、十一時というところでしょうから、細かくいえば、電子書籍のほうが、十時間くらい早く発売開始されていることになります。
発売開始まえから話題になっているスキャンダラスな本だとか、超人気作家の新作というような電子書籍であれば、あるいは十時間の時差のあいだに、売れるという現象がありうるのかもしれません。
『火山で読み解く古事記の謎』は、そのどちらでもなく、一五〇〇万年まえの日本列島の巨大火山を思い描き、そこに古事記神話との結びつきを探ろうとする、すこし風変わりな本です。
アマテラス・火山・原子力
東日本大震災の直後に書いた古いメモを見ていたら、「アマテラス・火山・原子力」という文字列がありました。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』みたいです。というかパクリ。
実現することのなかったボツ企画ではありますが、桃山堂から刊行した『火山と日本の神話』、私の個人名義で出版する『火山で読み解く古事記の謎』の元ネタのようなものなので、自己の活動記録のためにも、本日はこの幻の企画について書いてみます。
アマテラスの警告
二〇一一年三月の東日本大震災のあと、「ひとり編集会議」をした記録として、書いたメモだとおもわれます。
自分が書いたメモを引用マークで囲むのも変な気がしますが、書いた記憶も乏しいメモですから、半ば他人の文章です。なぜか、本の帯につけるコピーのような文章まで書いています。
「アマテラス・火山・原子力」
世界を闇につつむ巨大な噴火はかならず来る。
アマテラスは警告する。
忘れてはいけないと。
次のメモは、本のタイトル案とサブタイトルだとおもわれます。
アマテラスの警告 火山の国の遙かな記憶
アマテラスの警告 巨大噴火をめぐる神話的記憶
自分のメモを解説するのも変な話ですが、「アマテラスの警告」というタイトルで何を言わんとしているかというと、巨大な火山噴火が起きると原子力発電所が危ないという話です。
具体的にいうと、鹿児島県の川内原発の安全性をめぐる議論があり、訴訟にもなっているのですが、そこで火山の巨大噴火にともなう危険性がポイントのひとつとなっています。
「姶良カルデラ」というと馴染みが薄いかもしれませんが、簡単にいうと、桜島あたりで生じた巨大噴火が議論の対象であり、三万年まえの噴火と同じクラスの噴火が起きた場合、川内原発の安全性は確保できるのかという議論です。
桜島は姶良カルデラの巨大噴火のあと、カルデラの南縁部に出現した火山。鹿児島湾そのものがカルデラの外輪山と重なっている。
私は九州出身なので、川内原発のニュースは気になるのですが、東京の新聞、テレビでは地味なローカルニュースという扱いです。
鹿児島県議会ではたいへんな問題になっているのですが、国会レベルではそれほど大きな議論になることなく、やりすごされています。
上記の企画メモは、アマテラスを担ぎ出して、九州(あるいは日本列島)における原子力発電の危険性を訴えることはできないか──ということだったのだと思います。
思います、などと他人事のようですが、六年前のことなので、自分のメモながら推測まじりです。
アマテラスの神話は巨大噴火に由来するという説
どうして、東日本大震災の直後のメモにうわごとのように、アマテラス、アマテラス、アマテラスと書き連ねているのかというと、アマテラスが岩屋に隠れて永遠の夜がつづくという「岩戸神話」が、巨大な火山噴火の噴煙によって太陽が隠されたことを物語化したものだという話を聞いたことがあったからです。
私自身は政治的な主義主張とは無縁の人間ですが、日本列島しかも九州のような火山集積地に原発が存在することには強い疑問を感じています。
東日本大震災の直後の異様に社会的緊張のなかで、それが顕在化して、このようなメモがのこったのだとおもいます。
でも、『アマテラス・火山・原子力』、『アマテラスの警告』は本の形となることはなく、私のパソコンのなかにボツ企画として埋もれてしまいました。
その理由はいくつかあります。
いちばんの理由は、原子力発電をめぐる人間世界の論争に、神さまを引っぱり出すことは、良くないことではないかという気持ちに傾いたからです。
その後、紆余曲折があり、このボツ企画の延長のような、そうではないような微妙なところですが、『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』という本を、二〇一六年二月、桃山堂から刊行しました。
その続編的な性格もあるのですが、文春新書として刊行される『火山で読み解く古事記の謎』がようやく完成し、落ち着いて読み返してみると、ボツ企画の痕跡のようなものが残っていました。
もっとも、「アマテラスの警告」というような力強いものではありません。
アマテラスは、聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で、「だいじょうぶ?」とささやいているだけです。
6年まえの3月11日、国立国会図書館の机の下でいろいろ考えたこと
二〇一一年三月十一日午後二時四十六分、あの地震が起きたとき、私は東京・永田町にある国立国会図書館で、ちまちまとした調べものをしていました。文春新書『火山で読み解く古事記の謎』を書くことになったそもそもの発端は、あの地震にあるのですから、きょうはそのことを書いてみます。
二〇一一年当時の私の状況はというと、桃山堂という会社を設立したものの、一冊の本もまだ出しておらず、いくつかの企画を同時に進めていたときでした。
国立国会図書館でしか見ることのできない本や史料が多く、そのころは週に二回くらい行くこともありました。
そのころ、日常生活における大半の時間は、仕事場にしている自宅のパソコンのまえにいるか、国立国会図書館で資料を見ているかでしたから、大震災が起きたとき、その二つのうちのひとつ、国立国会図書館にいたということです。
地震が起きた瞬間、床が波打つような、経験したことのない激しい揺れだったので、これは首都直下型の巨大地震で、このまま死ぬのかなとおもいました。
古今東西の名著、珍著とともに、国立国会図書館で死ぬのは悪くはない気もしましたが、小さな出版社を立ち上げたものの、一冊の本もまだ出しておらず、いくつかの企画を同時に進めていたときでしたので、そのことについては少し残念だなともおもいました。
ほとんどの人がテーブルの下に身を隠したあと、
「当図書館は貴重な文献や資料を保存するため、きわめて強固な構造になっています。安心して館内で待機してください」
という放送が流れたのですが、その声はかすかに震えており、かえって不安な気持ちが募りました。
もし、あの大震災のとき、国立国会図書館ではなく、自宅のパソコンのまえにいたらと考えます。
まず、テレビで地震の状況を知り、次いでパソコンで詳細を調べたはずです。
そうすると、あの日の記憶はテレビの映像にまつわるものであったはずです。
ところが、たまたま、確率的には小さいはずの国立国会図書館にいたことによって、私自身の三月十一日の記憶に、テレビ映像の要素はまったくありません。
そのころはまだスマホではなくガラケーでしたから、電話経由の画像情報もなく、激しい余震が来るたびに、机の下にもぐることを繰り返しつつ、図書館で待機するという時間がつづきました。
ときおり流れる館内放送が、最大の情報源でした。
今かんがえると、国立国会図書館の六階の食堂に行けばテレビを見ることができたのではないかと思うのですが、思考停止していたのか、そうしませんでした。
それとも、そうできない事情があったのでしょうか。
余震はおさまったものの、地下鉄が復旧する見込みはないことがわかり、午後四時半ごろ、自宅のある練馬を目指して歩き始めました。
六時間くらい、かかったとおもいます。
だから、六年まえの三月十一日にまつわる私の記憶は、国立国会図書館の机の下に隠れていたことと、自宅をめざして多くの人たちとともに巡礼のように黙々と歩き続けたことだけです。
いくつかの偶然が重なった結果として、『火山で読み解く古事記の謎』という本を出すことになったのですが、あの日、自宅ではなく、国立国会図書館にいたという偶然も、そのひとつだとおもいます。
図書館から自宅まで六時間をかけて歩いたことによって、あの地震の記憶が肉体化しているというか、ものすごく鮮明な記憶がのこっています。
あの大震災を体験するまで、日本列島が地震と火山に宿命づけられ、その歴史や精神文化が地質的な条件と深く結びついているのではないだろうかということなど考えたことはありませんでした。
だから、『火山で読み解く古事記の謎』という本の企画がスタートしたのは、二〇一一年三月十一日、国立国会図書館のテーブルの下であったといえます。