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桃山堂ブログ

豊臣秀吉の<謎>、火山と古事記の探究、電子書籍への挑戦。

キリシタン大名、大村氏の城に行ったこと。大村寿司のこと。

玖島城(長崎県大村市玖島)といっても、その知名度は乏しいかもしれませんが、キリシタン大名として教科書にも出ている大村氏の居城です。 城跡は大村公園、大村神社となっており、石垣が残っているだけです。 週末、実家のある長崎市に帰っていたので、花…

羽犬伝説の筑後地方(福岡県南部)で、火山が激しく活動していたころ

私が個人営業している桃山堂という零細出版社は、このブログでメインテーマとしている秀吉伝説のほか、『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』という火山神話の本も出しています。 どうして、秀吉と火山なのだ、あまりにも支離滅裂ではな…

あまりにも個人的な関心、というか地縁からスタートした電子書籍シリーズ「秀吉伝説集成」

桃山堂の電子書籍シリーズ「秀吉伝説集成」は、編集者であり著者陣のひとりでもある蒲池明弘のあまりにも個人的な関心事からスタートしています。紙の本では難しいニッチなこだわりを作品化できるところが、電子書籍のメリット。 とはいえ、当然の結論ながら…

秀吉と羽犬伝説と前方後円墳

福岡県筑後市の羽犬塚という地名の発祥をめぐって、豊臣秀吉と「羽犬」すなわち翼のある犬の伝説が語られています。こじつけめいた話をいろいろ書いてしまいましたが、私が秀吉と羽犬の伝説が気になって仕方がない最大の原因は、羽犬伝説の地、筑後エリアに…

羽犬伝説と黄金アイランド・九州

福岡県筑後市の羽犬塚という地名の発祥をめぐって、豊臣秀吉と「羽犬」すなわち翼のある犬の伝説が語られています。前回は、黄金を守護する聖獣グリフィンと羽犬との形態的類似について話題にしました。今回は、羽犬が黄金にかかわる可能性について、羽犬伝…

秀吉伝説の「羽犬」は黄金の聖獣グリフィンと似ている?

福岡県筑後市の羽犬塚という地名の発祥をめぐって、豊臣秀吉と「羽犬」すなわち翼のある犬の伝説が語られています。一方、古代西洋の伝説には、翼のある聖獣グリフィンが登場します。グリフィンに比べると、羽犬伝説はあまりにもマイナーですが、黄金という…

羽犬伝説──秀吉ゆかりの「翼のある犬」の正体は何なのか?

羽犬塚という町は福岡県筑後市の中心部にあります。「はいぬづか」と読むちょっと変わったこの地名の発祥をめぐって、豊臣秀吉と「羽犬」すなわち翼のある犬の伝説が語られています。今回は、電子書籍シリーズ「秀吉伝説集成」の一作『秀吉と翼の犬の伝説』…

徳川幕府がつくった『寛政重修諸家譜』は豊臣氏を渡来系として分類?

『寛政重修諸家譜』は徳川幕府が編纂した武家系図集の集大成です。この系図集で豊臣氏は渡来系の氏族のなかに掲載されている──ように見える謎。 『寛政重修諸家譜』のなかの豊臣氏系図 『寛政重修諸家譜』は江戸時代の大名、旗本の系図を集成した系図集です…

「豊臣秀吉・中国人説」は東アジア世界に拡散していた

勇(いさむ)や(1368年)明の朱元璋、この年、建国。 極貧からの出発、晩年の理不尽な粛正、秀吉とは共通点のある明の創始者。 突然の朝鮮出兵によって、豊臣秀吉は明(中国)や朝鮮の知識人社会では「時の人」となり、さまざまな書籍や公文書で「Hidey…

幕末の歴史書『大日本野史』にも「豊臣秀吉・中国人説」が出ている?

幕末の歴史家として名高い飯田忠彦の『大日本野史』にも、「豊臣秀吉・中国人説」が記されている──と断定口調でいう自信はないのですが、妙な一文が秀吉伝記に挿入されているのです。 明人羽柴官の再生? 『大日本野史』は飯田忠彦が三十年以上を費やして一…

「豊臣秀吉・中国人説」が、朝鮮王朝の高官の著作『懲毖録』に出ている

韓国KBS1で2015年に放送された大河ドラマ『懲毖録』。主演キム・サンジュン(柳成竜の役)。 http://www.kbs.co.kr/drama/jing/ 豊臣秀吉はもともと中国人なのだが、日本に渡ったあと、破格の出世をとげて、国の支配者となった──という当時の風説が、朝鮮王…

豊臣秀吉を渡来人の子孫とする謎の系図

国立国会図書館に所蔵されている『諸系譜』という系図集に、豊臣秀吉を渡来人の子孫とする系図が掲載されています。『諸系譜』とは、幕末生まれの国学者たちが収集した系図資料がまとめられたものです。 国立国会図書館で『諸系譜』を見る 現代の戦場という…

豊臣秀吉 もうひとつの「一夜城伝説」と渡来系大名・秋月氏

九州版「一夜城」の舞台、益富城(大隈城)はこの山にあった。小雨のなか、撮影。(福岡県嘉麻市) 豊臣秀吉の一夜城伝説──。それは織田信長の家臣時代の秀吉が木曽川流域の墨俣に驚くべき短期間に城を築いたという伝承ですが、福岡県嘉麻市ではもうひとつの…

治水技術と渡来人──成富兵庫と豊臣秀吉を系譜的に考える

成富兵庫の代表的な治水事業「石井樋」。洪水防止に加え、上水道のことも考慮されている。 http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_izin/saga/ (画像は農水省ホームページ「土地改良偉人伝」より転載。以下の写真も同) 佐賀県では<治水の神さま…

岩屋城の猛将・高橋紹運と豊臣秀吉は系図のうえでは渡来人の子孫

岩屋城二の丸は戦死者の墓域になっている。 福岡県・太宰府天満宮の裏山にある岩屋城の戦いで、壮絶な籠城戦の末に絶命した高橋紹運(鎮種)。高橋氏の系譜は、渡来系の有力氏族である大蔵氏につらなっています。 渡来系の名族・大蔵氏の一族 前回のエントリ…

血戦の地「岩屋城」で、豊臣秀吉を招く祝宴はひらかれたか

岩屋城は九州戦国史の激戦の舞台として名高い。 政争に敗れて左遷された菅原道真の廟墓であり、天神信仰のメッカである太宰府天満宮。その背後の山に九州戦国史では非常に名高い岩屋城があります。豊臣秀吉はここでひらかれた島津氏主催の宴席に招待されたの…

前田晴人教授の「桃太郎=豊臣秀吉」説について考える

これは愛知県犬山市の桃太郎神社。サルが家来というのも気になる。 「桃太郎」の物語は、細川幽斎が、豊臣秀吉の政治構想と業績を顕彰するために創作した近世神話である──。 大阪経済大学で歴史学の教授をなさっていた前田晴人氏は、『桃太郎と太閤さん』(…

大坂城の石垣は、古墳の石室の<面的>移動だったのか

福岡県飯塚市のカクメ石古墳内部の石室。石の美しさも考えられているようだ。 豊臣時代の大坂城には、近郊の古墳群から運んできた古墳石室の石が大量につかわれていたことが、秀吉発給の文書によって知られています。なぜ、秀吉は古墳から石を集めるよう指示…

菅原道真は<古墳の神>でもあること

学問の神さま、受験の神さまである菅原道真は<古墳の神さま>でもある──。豊臣秀吉による創建伝承をもつ瓢箪山稲荷神社(東大阪市)は、考えてみればあたりまえのこの真実をわかりやすく提示しています。 古墳稲荷で祀られる菅原道真 瓢箪山稲荷神社は、瓢…

豊臣秀吉の「石集め文書」は古墳神社の創建伝承と重なること

大坂城を築城するとき、古墳群から石を運んでくるよう指示した豊臣秀吉の古文書が存在します。前回、紹介した古墳と一体の稲荷社・瓢箪山稲荷神社(東大阪市)が秀吉によって創始された天正十一年は、石運びの時期と一致しています。 これも大坂城の石垣につ…

東大阪市の「瓢箪山稲荷神社」は古墳であり、豊臣秀吉の創始伝承

東大阪市にある「瓢箪山古墳」には、豊臣秀吉による創始伝承をもつ稲荷神社が祀られています。この地域は山畑古墳群と呼ばれる古墳の一大集積地。大坂城築城のとき、秀吉がこのあたりの古墳から、石垣用の石を運び出させたことを示す古文書がのこっています…

土より出でて、土へ帰る ── 母の死を悼む豊臣秀吉の挽歌

左から五行目から、秀吉の挽歌二首。『大かうさまくんきのうち』 太田牛一の自筆本(汲古書院) 「なき人の かたみのかみを てにふれて つつむにあまる なみだかなしも」 「たかの山 かたみのかみを をくりぬる つちよりいでて つちにかへれと」 母親の危篤…

豊臣秀吉と伏見稲荷をつなぐ<土>の文化、<土>への信仰

年明け早々の神事で、稲荷山の神に土器が奉られる <土の神>としての伏見稲荷 伏見稲荷大社で毎年一月五日に開かれる大山祭は、「お土器の行事」ともいい、同社で最も重要な祭祀のひとつである──ということを知り、京都に向かったのは二〇〇九年のことでし…

日本史上の人物のなかで最も稲荷と縁の深い豊臣秀吉

秀吉を祭神とする長浜市の豊国神社のなかにある稲荷社。 秀吉の守護神は稲荷? 神道関係の本を多く書かれている戸部民夫氏の『戦国武将の守護神』は、勇猛果敢な戦国武将の神頼みの一面がわかって面白い本ですが、豊臣秀吉が最初に信仰したのは稲荷神である…

豊臣秀吉ゆかりの地には稲荷神社があるという法則

大阪市の玉造稲荷神社には豊臣秀頼奉納と伝わる鳥居が残存する。 伏見城のそばに最大の稲荷社、大坂城のそばには最古の稲荷社 豊臣秀吉に関心をもったきかっけが、大阪市の土佐稲荷神社の宮司さんから「秀吉さんは稲荷の信仰者」という話をうかがったことで…

橋場(江戸)、御器所(名古屋)、伏見(京都)をむすぶ土人形と豊臣秀吉

江戸時代からつづく伏見人形の老舗、丹嘉 土人形発祥地としての伏見 京都の伏見で誕生した伏見人形は、江戸時代以降、全国的な人気商品となった「土人形」の元祖的な存在です。 型取りした素焼きの人形に絵の具で色づけしただけの素朴な土人形ですが、このタ…

東北地方には豊臣秀吉とは無縁の羽柴一族がいて、土師氏の子孫という事実

柴橋楯跡 ウィキペディアより転載 大江姓すなわち土師系の武将羽柴勘十郎 秀吉が名乗っていた「羽柴」という名字の由来については、織田信長の重臣であった丹羽長秀と柴田勝家にあやかるために、丹羽の「羽」、柴田の「柴」の字をとって、羽柴と称したという…

「豊臣秀吉の祖父は鍛冶かも」という情報を通して、高座結御子神社を考える

渡辺世祐『豊太閤の私的生活』 渡辺世祐(一八七四~一八五七)氏は東京大学史料編纂所に勤務したあと、明治大学教授をつとめていたアカデミズムの研究者ですが、政治家、武将としてではなく、個人としての豊臣秀吉に強い興味をもっていたようで、『豊太閤の…

熱田神宮の豊臣秀吉ゆかりの稲荷社は円形古墳だという謎

稲荷・古墳・秀吉 熱田神宮(名古屋市熱田区)から、 北に一キロほど離れた飛び地ですが、摂社の高座結御子(たかくらむすびみこ)神社が鎮座しています。 二〇一二年五月、僕がこの神社に向かったのは、境内に秀吉ゆかりの稲荷社があると聞いたからでした。…

豊臣秀吉の母親のふるさとには、東海地方で最大級の円形古墳がある

八幡山古墳のそばに掲示されている航空写真。周囲のビル、自動車から古墳の大きさがわかる。 古墳エリアとしての御器所 豊臣秀吉の母親の出生地とされる御器所(ごきそ)(名古屋市昭和区)に隣接して、鶴舞公園という大きな都市公園が広がっています。 花や…

豊臣秀吉の母親のふるさと御器所も「やきもの産地」だった

名古屋市の地下鉄御器所駅前には、「土」のモニュメントがそびえている。 「土」の記憶 デジカメの記録によると、僕はこの写真を二〇〇九年八月六日に撮影しています。 撮影場所は、名古屋市昭和区の地下鉄御器所(ごきそ)駅まえの交差点。 秀吉の母親の出…

江戸のやきもの産地は浅草の橋場(ハシバ)、秀吉の名字は羽柴(ハシバ)?

歌川広重『名所江戸百景』より「隅田川橋場の渡し かわら窯」。前景が浅草・橋場町と呼ばれた一帯で、今戸焼の窯から煙が上がっている。(今戸焼 - Wikipedia より引用) 浅草の橋場は、江戸では最大のやきもの産地だった 江戸(東京)で最大のやきもの産地…

招き猫の新聞記事を書いた結果、僕は豊臣秀吉に興味をもつようになった

わが家の招き猫軍団 読売新聞の見開き2ページで、招き猫の特集記事が掲載されるという歴史的(?)快挙 桃山堂という看板をかかげて、豊臣秀吉についての本を出しているので、どうして、そんなに、秀吉に興味があるのかと聞かれることがあるのですが、うま…

殺生関白──日本史上、最高で最悪のダジャレ

秀次の居城だった八幡山城の城跡にある瑞龍寺にて。自分撮影。 命がけの政権批判だったのか 摂政・関白といえば、もちろん、公家の最高位で天皇の補佐役です。 殺生関白といえば、豊臣秀次というくらい、こちらも有名です。 摂政/殺生という同じ発音で違う…

豊臣秀次──捨て子の側室をもつ関白

自分撮影。秀次をとむらうため、母が開いた瑞龍寺(滋賀県近江八幡市) 秀次の側室リストの三〇人 僕がやっている小さな出版社のテーマのひとつが豊臣秀吉なので、このブログでも時々は、そちら関係の話題を書きたいとおもっています。 NHK大河ドラマ『真…