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桃山堂ブログ

豊臣秀吉の<謎>、火山と古事記の探究、電子書籍への挑戦。

僕が出版社をはじめた、けっこう恥ずかしい事情

出版業界 豊臣秀吉

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自分撮影。散歩コースにて。

 

 テープ起こし、ゴーストライターなんでもやりました

 

読売新聞社をやめてしばらくは仕事らしい仕事もしませんでしたが、その後、フリーランスのライターやデザイナーが所属するオフィスに登録して、ライター稼業をしながら、自分で立てた企画によって本を出す準備をすすめていました。

 

フリーランスのライターといっても、ほんとうにショボいライターです。

本のゴーストライターめいた仕事はいいほうで、テープ起こし(講演、インタビューなどを文字にする作業)、広告用パンフレット、企業広報誌、なんでもやりました。

自分の興味、関心とはかんけいありません。「お仕事」としての、ライター稼業です。

 

でも、取材し原稿を書くという作業は、それはそれで楽しいもので、取材でおじゃました場所には、よい思い出ができました。

その後、一度もお会いしていない人がほとんどですが、面白い話を聞かせていただき、感謝しています。この場を借りて、御礼もうしあげます。

 

僕が出版を狙っていたジャンルのひとつは、「歴史かんけいの伝奇的ノンフィクション」とでもいうべきものです。

豊臣秀吉徳川家康柳生十兵衛など歴史上の人物についての、史実とも虚伝とも見きわめがたい伝承・伝説にスポットをあてて、その人たちの生涯を、従来とは違ったアングルから展望してみようという企画です。

 

トンデモ歴史本と誤解されがちで、まあ、たしかにそう言われても仕方ないかもしれませんが、あえて言うなら、足をつかって取材し、資料調査をふまえた生真面目なトンデモ本です。

反対に、手前味噌で美化していえば、民俗学、神話学のテーストを込めた人物評伝です。

 

ライター仕事をしながら、取材をすすめ、構想をねりあげ、一応、原稿らしきものをいくつか書きあげました。

新聞社と出版社は、ともに紙に文字の情報を印刷して、それを読者に届ける仕事なので、共通点は多いのですが、業界としてはまったく別の世界です。

 

僕は出版業界に親しい知り合いがいませんでした。

企画があって、原稿もできているのに、それをどのように売り込めばいいのか、まったくわからなかったのです。

 

売り込み作戦を開始するも、ボツの連続…

 

そのころ、僕が仕事を紹介してもらっていたオフィスでは、企業の広告とか広報誌の仕事が中心でしたが、そのオフィスの社長さんは、もともと出版社にいた女性だったので、僕はこんな企画で本を出す希望をもっているのですが、どうしたらいいでしょう、と聞いてみました。

 

「企画が採用される保証はまったくできませんが」

と前置きしたうえで、その社長さんはこんなことを助言してくれました。

「企画の内容、とくにセールスポイントを、A4判の紙、できれば一枚、長くても二枚におさまるように書いてください。メールアドレスと、携帯電話の番号も忘れないでください。

そうすれば、私の知り合いのいる出版社については、しかるべき編集者の目にふれるようにすることはできます。そちらでも、知り合いの知り合いという具合に、人づてをたどって、できるだけ多くの出版社に企画書を出せばいいとおもいます」

 

「一応、原稿もできているのですが、A4の企画書といっしょに送ったほうがいいのでしょうか」

「まず、A4の企画書です。興味をもってくれる編集者さんがいれば、連絡があるはずです。くわしい話はそのあとのほうがいいです」

 

というわけで、僕は売り込み作戦をはじめました。

二〇〇九年のことです。

 

出版社から本を出したことのある知り合いが何人かいたので、A4判の企画書を添付ファイルで送って、転送を依頼しました。

知り合いがみつからない出版社には電話をして、企画書を送ってもいいという返事があれば、送ってみました。

 

歴史かんけいの本をよく出している某出版社に電話したところ、
「たいへんもうしわけないのですが、そうしたご提案はすべてお断りしているのです」
という返答でした。

言葉はていねいですが、強い拒否の感情がこもっていました。

 

某大手出版社では、嫌がらせなのか、親切心なのか、自費出版のセクションに電話をまわされてしまいました。

 

「出版社に売り込んで、出版を実現するというのは容易なことではないぞ」

電話をかけるたびに、そう思わずにはいられませんでした。

 

大手が中心ですが、一〇社くらいの出版社に企画書を送りました。

企画不採用の連絡をいただければ、まだ、いいほうです。

ほとんどの出版社からは、ボツの連絡も来ません。

無視です。

 

いま、こうして書いているだけでも、当時の記憶がよみがえり、次第に気分が重くなってきました。

 

そのころ、送っていた企画書は、僕のパソコンのなかにいまも死蔵されています。ご参考までに、掲載してみます。

 

幻のボツ企画書、ここに初公開


   企画書 

◯◯社   ご担当者様

タイトル案 『土の王 秀吉』

 


豊臣秀吉の出自は、日本の歴史において最大級の<謎>である。

実の父親が誰で、どのような社会階層であったかさえはっきりしない。テレビドラマでは、父親を貧しい百姓とえがくことが多いが、そのほか、足軽地侍、職人、商人、村長クラスの有力者など諸説紛々としている。

 

史料にもとづく、学術的アプローチはすでに行き詰まっている。この企画では、地域伝承や民俗学的な情報を手がかりに、秀吉の知られざる一面を探り、謎につつまれたルーツに迫りたい。

 

□ 稲荷と土器

あまり知られていないことだが、歴史上名高い武将、政治家の中で秀吉ほど熱心に稲荷を信仰した人はいない。

稲荷信仰が全国区となるのは意外に遅く桃山時代以降のことだが、秀吉が最晩年の居城を稲荷大社のある伏見(京都市)に置いたことがその後の隆盛に結びついた。

稲荷信仰のメッカ伏見には、土器系のやきもの産地という顔もある。古墳時代の土器づくり集団「土師氏」の居住地であり、近現代においても瓦、土人形が焼かれている。

 

□ 日本列島のものづくり文化のなかの秀吉

秀吉の母親の出生地は、名古屋市御器所で、そこは祭祀用土器の産地だった。明治時代まで土人形や瓦も焼かれていた。古墳の集積地であり、古代的な気配を漂わせている。

秀吉の母方祖母は、刀鍛冶という伝承がある。

秀吉の親類とされる加藤清正の一族にも、鍛冶にまつわる伝承がある。

土器づくり、製鉄など、古代的な技術文化と、秀吉の一族に接点がある可能性があり、それは秀吉のルーツとかかわっているかもしれない。

 


□ 古墳と城郭

名城熊本城を築いた加藤清正をはじめとして、秀吉の周辺には城作りにたけた人物が多い。秀吉自身も、備中岡山県での水攻めで明らかなように、巨大な土木技術についての知見があったとみられる。

秀吉の軍事的な強さは、卓越した土木技術、築城術にあるともいわれている。その技術のルーツをさかのぼると、古墳時代の巨大古墳造営のときに培われた土木技術があるのではないか。

 

□ 土の精神文化

秀吉、おねの夫妻は仏教式の火葬ではなく、素焼の甕棺(備前焼)によって土葬された。

秀吉の廟墓を管理する豊国神社の例大祭仏教寺院であれば法事)は、献茶式という茶道の流儀によって行われる。秀吉の葬送と鎮魂にも「土」の気配が濃厚だ。

 

日本史の底流には「土」にかかわる精神文化、技術文化があるが、秀吉は、その土壌から生まれた「王」である。

日本のルネサンスとも称えられる桃山文化の生命力は、日本列島固有の「土の文明」に霊感を得ているからかもしれない。