「eBookジャーナル」創刊記念セミナーで、電子書籍への妄想はさらに膨張した
【お詫びと言い訳】当ブログは開設当初、「個人出版モタモタ実験工房」のタイトルで、時系列的に出版をめぐる体験談を書こうとしていたのですが、いつのまにか、「歴史ブログ」になってしまったので、サイト名を「桃山堂ブログ」と変更しています。このエントリーは当初のプランで書いているので、ちょっと変ですが、活動記録でもあるので、そのままにさせていただいています。
二〇一〇年九月、ひとり株式会社を設立
このブログは、時系列にそって書くつもりで始めたのですが、どうも、寄り道、脱線が多すぎるようです。
ここらでひとまず、本線に戻りたいとおもいます。
読売新聞社をやめたあと、出版社に本の企画を売り込んだけれど、うまく行きませんでした。意気消沈していたころ、アメリカでアマゾンがはじめた電子書籍サービス・キンドルが大ブレークしているらしいということを知り、IT音痴のくせに、無謀にも電子書籍による出版事業をはじめようと決意したのです。
二〇一〇年九月、桃山堂という社名で、ひとり株式会社を設立しました。
僕のようなレベルのミニ出版社をやるうえで、会社組織にしたほうが良かったのかどうかは難しいところですが、やむをえない事情があり、法人にしました。会社組織にした理由はいくつかあるのですが、また別の機会に書いてみます。
会社はつくったものの、日常生活が劇的に変わることはありませんでした。
ライター稼業をつづけながら、もろもろの準備をするという日々でした。
アマゾンが日本でも電子書籍ビジネスをはじめることを見越して、会社を設立したのですが、肝心要のアマゾンキンドルが、いつ、日本でサービスをはじめるのかも不明だったからです。
そもそも、どのようにして、電子書籍を作成すればいいのか、どのように販売できるのか、まったくわかりませんでした。
でも、その当時、東京・池袋のジュンク堂本店に行っても、リアルタイムの有用な情報を得ることができる本などありませんでした。
インターネット上では、アメリカですごい盛り上がりをみせているという話ばかりで、日本でどうなるのか、という最も知りたい情報はありませんでした。
電子書籍業界はもとより、出版の世界にも知り合いがいなかったので、情報を得るすべもありませんでした。
情報への飢餓感は募るばかりでした。
アマゾンの戦略で、日本列島の人民は情報飢餓に陥っていた
会社を設立した二か月後の二〇一〇年十一月、「eBookジャーナル」という電子書籍の専門誌が創刊されました。
地獄に仏、
砂漠で水、
「eBookジャーナル」が出たときは、ほんとうに感謝しました。
この雑誌によって、電子書籍業界の全体像、現状の課題、今後の展望が、ぼんやりとですが見えてきました。
今にしておもうことですが、二〇一〇年秋にこのような雑誌が創刊されているということは、情報飢餓にもだえ苦しんでいたのは、僕ひとりではなかったということです。
「eBookジャーナル」を創刊したのは、毎日コミュニケーションズ社(現在はマイナビ出版)です。
紙の雑誌と電子版の両方ありましたが、僕は紙の雑誌を買っていました。
マイナビ出版はもともと毎日新聞社の関連会社でしたが、現在は資本関係をふくめて独立色がつよまっているようです。でも、会社があるのは、毎日新聞社のある竹橋のビルです。
「eBookジャーナル」の創刊記念セミナーは、そのビルの一室で開かれました。
三〇〇人くらいの参加者で、たいへんな熱気だったことをおぼえています。
でも、正直なところを申し上げれば、けして安くはない有料セミナーなのに、情報性の乏しい内容でした。
というのも、講師の人たちをふくめて、セミナーに参加していた誰もが、アマゾンの電子書籍サービス・キンドルのリアルな情報をもっていなかったからです。
それは、明治維新を前にした幕末の知識人が、
「西欧では、身分を問わず、人々の代表が集まって話す会所があって、殿さまと大げんかすることもあるらしい。すごいことではないか」
と議会制民主主義社会を夢想していたことに似ています。
十代の若者が、十八歳選挙権でちっとも盛り上がらないのは、議会制民主主義といっても、高が知れたものであるという、冷めた情報に接しているからでしょう。
幕末の知識人は、情報が決定的に乏しかったからこそ、妄想は膨張し、明治維新から自由民権運動とつづく、革命的エネルギーに変換することができました。
「eBookジャーナル」の創刊記念セミナーというと、
「アマゾンの電子書籍サービスは、アメリカで、スゴイことになっているらしい」
といっては盛り上がり、
「それで、日本にはいつ、上陸するのだろう?」
と、皆が虚空を見つめるのです。
このセミナーで僕が学んで、記憶にとどめたことは、
「電子書籍を作成するとき、写真をふくめて、すべてのファイル名は、アルファベットにしたほうがいい」
ということだけでした。
アマゾン社は、悪くいえば秘密主義、良くいえば、情報のコントロールを緻密におこなっている会社です。
当時の日本で、アマゾンキンドルについての情報はきわめて乏しく、妄想だけがセミナー会場に充満し、発火しそうでした。
電子書籍の幼年時代
ドラスチックな変革者を外部に求めてしまうのは、ペリーの黒船来航によって、幕末の政局が一気に加速し、あっけなく幕府が倒れたという史実が、民族的遺伝子になってしまっているからでしょうか。
マッカーサー先生のご指導のおかげで、平和な民主国家に変身できた成功体験(?)が関係しているのでしょうか。
アマゾンのイメージは、ペリー、マッカーサーと重複しています。コワモテですが、理詰めの変革者です。
アマゾンキンドルは二〇一二年十月、日本でのサービスを開始しました。
ところが、「eBookジャーナル」は、その記念すべき日を目前とした時期に、七号をもって休刊してしまったのです。
関係者がおもったほど、電子書籍はビジネス、お金儲けとしての広がりをもちえなかったということでしょう。
あの雑誌の発刊と休刊は、あの一時期の、アマゾンキンドルへの過剰ともいえる期待と幻想を象徴しているようにもみえます。
僕もその幻想の共同体の、すみっこにいた一人でした。
「eBookジャーナル」は短命でしたが、この雑誌には、いろいろなことを教えてもらいました。とても恩義に感じています。
あのころは、日本における電子書籍の幼年時代だったのでしょうか。
アマゾンキンドルの登場によって、少年期は終わり、リアリズムの支配する大人の世界になった──。
僕は電子書籍ビジネスの当事者というより、残念なことに、ほとんど傍観者というか、利用者の一人にすぎないのですが、そんな感触をもっています。