<新しい本>よ、眼ざめよと、そのおじさんは叫んだ
【お詫びと言い訳】
当ブログは開設当初、「個人出版モタモタ実験工房」のタイトルで、時系列的に出版をめぐる体験談を書こうとしていたのですが、いつのまにか、「歴史ブログ」になってしまったので、サイト名を「桃山堂ブログ」と変更しています。このエントリーは当初のプランで書いているので、ちょっと変ですが、活動記録でもあるので、そのままにさせていただいています。
霧島山系高千穂峰山頂より撮影。昨年春、弊社刊行『火山と日本の神話』の取材のために登山。
本は解体し、そして再生する──人類史のなかで考える電子書籍およびインターネットの本質
今から四年ほどまえのことです。
僕が聴講したその電子書籍セミナーは、とても風変わりな内容でした。
どれほど理解できたかはあやしいものですが、僕はその話に感銘し、励まされました。
きょうは、そのセミナーのことを書いてみます。
これから電子書籍で、あるいはインターネットをとおして、なにかを表現したいとおもっている人(僕もそのひとりです)にとって、たいせつなことが語られていたとおもうからです。
二〇一〇年から二〇一二年にかけて、けっこうな数の電子書籍セミナーや勉強会に足を運んでいます。
業者がひらく無料セミナー、ライターなどの有志による情報交換会、業界団体による啓蒙的セミナー、ちょっと怪しげな自称専門家によるセミナーもありました。
二〇一二年六月七日、その電子書籍セミナーを聴講したのも、そうした情報収集活動のひとつとしてでした。
会場は飯田橋にある出版者の地下にある会議室。
聴講者は三〇十人くらいだった印象ですが、あるいはもっと多かったのかもしれません。
講師の人は、白髪で短髪、熱量のある話し方をされるかたでした。
年齢は僕より二〇歳ほど年長だとおもいます。
ブログへの掲載許可をいただいていないので、実名はふせます。
その講師の方は、僕の親類の叔父さんたちとちょうど同じくらいの年齢です。
というわけで、ここでは仮名がわりに、年長者への敬称として「おじさん」と呼ばせていただきます。
そのおじさんは、けっこう有名な出版者の元社長さんです。
つまり、紙の本や雑誌をつくっていたプロです。
しかし、早い時期から電子書籍に深く関与し、現在は、その世界でリーダー的な存在です。
レクチャーは、紀元前六〇〇〇年(日本列島では縄文時代)といわれる文字の発明からはじまりました。
そして、本の歴史を、情報/知識の「保存」と「流通」の二つのポイントから考えてみようと、僕たちによびかけました。
そうすることで、出版業界にとどまらず、日本の社会で生じている状況がよくわかるというのです。
僕は、おじさんの言葉をノートにこう記録しています。
本が解体する
いまある本を電子化するのではなく、<新しい本>の概念をつくること
電子書籍というものが出現した背景には、情報/知識をめぐる人類史的な構造変化があるという、なんとも気宇壮大な話なのでした。
本がになっていた役割(情報や知識を「保存」し、それを広く社会に「流通」させること)が、コンピューター/インターネットの領域に移行しつつある。
そうした過渡期が現在。
そんな時代において、本をつくってきたわれわれが果たすべきことは何か。
それは、未来にむけて開かれた<新しい本>を構想することだ、というのです。
俗っぽい言葉にすれば、紙の本のコンテンツを、デジタルにして売るだけではダメだよ、そこにどんな創造性があるの? ということだとおもいます。
石の本、紙の本、電子の本
情報/知識の保存という採点基準においては、粘土板や石に刻まれた文字がいちばん優れています。
火事でも焼けないのですから、保存力は半永久的です。
そのかわり、重量があるので、情報の流通という点ではきわめて低い評価になってしまいます。
紙の本は、劣化しやすいし、火にも弱い。
古代オリエントで発明されたパピルスの本はほとんど残っていない、というのです。
しかし、印刷し大量にコピーを作成することで、この弱点はある程度、クリアーできます。
巻物の本だと、情報の検索には不便です。
しかし、ページと目次をもつ冊子となると、情報へのアクセスが容易になります。
印刷された本は軽いので、情報の流通という点でも優秀です。
僕は、このようにノートしています。
冊子体があまりに便利だったので、本にする必要のないものまで本にしていた
コンテンツの主流はウェブで、それを補完しているのが本、新聞
本が売れなくなった、出版不況が終わらない。
そう言われている現状の本質とは、情報/知識の「保管」と「流通」のための社会基盤が、本からウェブに移行していることだというのです。
同じようなことを言う学者や評論家は、きっといるに違いありません。
このセミナーの内容そのものは、もしかすると、誰かの受け売りなのかもしれません。
でも、僕がセミナーの話を感銘をもって受け入れることができたのは、そのおじさんが、僕もよく知っている出版社の元社長さんでありながら、新しい「保管」と「流通」の土台を整備すべく奮闘なさっているからです。
それは原生林の木を切り、土を耕し、種をまき育てるというような、困難な営みであったはずです。
現場で戦いつづけてきた人だけが持っている言葉の強さを、感じたのだとおもいます。
「伸びるのは小さな出版社で、大手ではない」
ノートには、このような言葉もあります。
電子出版は<貧者の印刷機>でなければならない
伸びるのは小さな出版社で、大手ではない
僕はこの言葉に鼓舞され、モチベーションは一気に上昇しました。
(その後の成果が乏しく、恥ずかしいのですが)
このセミナーの主催者はJEPA(日本電子出版協会)です。
一九八六年の設立だというので、三〇年の歴史をもつ団体ということになります。
一九八六年というと、僕が読売新聞に入社した次の年です。
すでにそのころから、本の電子化にむけた集団的なムーブメントがあったことに驚いてしまいます。
僕がJEPAのセミナーを聴講させていただいていたのは、わずか二、三年のことです。この団体の歴史からすると、ほんの短期間ですが、今おもうと、非常に勉強になりました。
小さな出版社を立ち上げ、現実に本をつくりはじめると、仕事はエンドレスで目の前に山積しており、JEPAのセミナーに行って、知識をインプットする時間さえ惜しむようになってしまいました。
逆にいうと、僕がJEPAのセミナーの熱心な聴講者であったころは、ヒマだったのだとおもいます。
たいして昔のことでもないのに、ノートを読み返していると、学生時代をおもいだすときのように妙になつかしいです。