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桃山堂ブログ

豊臣秀吉の<謎>、火山と古事記の探究、電子書籍への挑戦。

豊臣秀吉の母親のふるさと御器所も「やきもの産地」だった

豊臣秀吉 古墳/土師氏

 

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名古屋市の地下鉄御器所駅前には、「土」のモニュメントがそびえている。

 

「土」の記憶

  

デジカメの記録によると、僕はこの写真を二〇〇九年八月六日に撮影しています。

撮影場所は、名古屋市昭和区の地下鉄御器所(ごきそ)駅まえの交差点。

秀吉の母親の出生地である名古屋の御器所が、瓦、食器、土人形などを製造する「やきもの産地」であったことを知り、その痕跡をもとめて、現場取材に向かったのです。

 

羽柴という秀吉の名字が「土師(ハジ/ハシ)=やきもの師」に由来するのではという説について考えることが目的でした。

 

小さな手がかりがあれば、ともかく現場に行ってみるというのは、新聞社に勤務しているとき、しつこく言われつづけたことのひとつ。 

現場に行けば、「字にできること」がなにか見つかるかもしれないからです。

 

インターネット時代のいまでも、その土地に行って、はじめて気づくことは少なからずあるものです。

 

巨大な陶芸作品を掲げるこのモニュメントことを、僕は地下鉄御器所駅で降りて、階段をのぼって地上に出たその瞬間まで知りませんでした。

 

これは何だろうとおもい、パネルに目を向けました。

 

<土>とタイトルをふって、御器所の歴史が<土>と深くむすびついていることが書かれていました。

 

 

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 一〇メートル近い鉄のポールがかざしているのは、濃い緑の釉薬で色づけされた現代芸術風のやきもの作品です。

 

紳士服のチェーン店、スターバックス、そしてアコムの看板が並ぶるありふれた都市部の風景のなか、このモニュメントだけが異様です。

 

秀吉の母親のふるさとは、「土の記憶」を強烈にアピールしている町でした。

 

 

 

明治以降の御器所は「名古屋土人形」の産地

 

秀吉の母親が尾張国御器所の生まれだということは、いくつかの文献に書かれています。

たとえば、江戸初期の土屋知貞という人は、『太閤素生記』という文献に、

秀吉母公も同国ごきそ村という所に生れて

と記しています。

 

 

江戸時代の御器所はやきもの産地でしたが、土器に毛のはえた程度の雑器、瓦の生産が中心だったと記録されています。

 

同じ愛知県の瀬戸市を中心とするエリアで焼かれていた陶器類に比べると、技術的な水準はずっと低く、生産規模は比較できないほど小さなものでした。

 

 明治時代以降は、素朴な土人形「名古屋土人形」の産地として知られています。

明治三〇年ごろがピークだったそうで、御器所を中心として、専業の工房が五、六軒あったといいます。

 

名古屋土人形も、浅草の今戸焼きの招き猫と同じく、伏見人形の製法にならっています。型によって素焼きの人形をつくり、絵の具で仕上げるものです。

 

「名古屋土人形」の最後の職人である野田末吉さんが、平成元年に亡くなられて、伝統はとだえてしまいました。

 

 郷土玩具 名古屋の土人形 というサイトに、「名古屋土人形」についての詳細で心のこもったレポートが掲載されています。

 

書かれた方は、最後の職人野田末吉さんと交流があったそうで、とても貴重な記録であるといえます。

招き猫もレパートリーとされていたことが、のこされた写真でわかります。

サイト運営者の了解がえられたので、ここに掲載させていただきます。

 

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「名古屋土人形」は、秀吉の母親の出生地とされる御器所が、中世、江戸時代のみならず、近現代においても、やきものの町であった歴史を物語ってくれます。

 

御器所に、やきもの師(土師)がいたことは歴史的な事実なのです。

 

秀吉の名字である羽柴をめぐって、「土師(ハジ/ハシ)」に由来するという説があります。 

僕はこの説が真実であることを確信しているわけではないのですが、細心の注意をもって検討すべきテーマであることを、「土」のモニュメント、そして、「名古屋土人形」によって教えられたのです。

 

(つづく)