桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

東大阪市の「瓢箪山稲荷神社」は古墳であり、豊臣秀吉の創始伝承

 

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東大阪市にある「瓢箪山古墳」には、豊臣秀吉による創始伝承をもつ稲荷神社が祀られています。この地域は山畑古墳群と呼ばれる古墳の一大集積地。大坂城築城のとき、秀吉がこのあたりの古墳から、石垣用の石を運び出させたことを示す古文書がのこっています。

 

三大稲荷

 

 日本三大夜景とか三美人とか、三大何とかは、いろいろありますが、お国自慢が入りますから、地方ごとに構成メンバーが異なるのはご愛敬です。

 

三大稲荷もあります。

伏見稲荷大社は別格ですが、のこり二つについては、地方によって顔ぶれがちがことになります。

今回、話題にしている東大阪市瓢箪山稲荷神社も三大稲荷です。

 

いま、ウィキペディアをみてみたら、以下の神社および寺が三大稲荷を称しています。

 

瓢箪山稲荷神社、竹駒神社 、笠間稲荷神社豊川稲荷妙厳寺瓢箪山稲荷神社、千代保稲荷神社、草戸稲荷神社祐徳稲荷神社最上稲荷山妙教寺、源九郎稲荷神社

愛知県の豊川稲荷岡山県最上稲荷は、仏教系の稲荷です。

伏見稲荷とはなんの関係のない寺院で祀られているところが、稲荷信仰の謎めいたところです。

 

近鉄奈良線瓢箪山駅を降りると、「日本三稲荷」と大きく書かれた看板が目に入ります。

活気のある商店街を五分ほど歩いて左折すると、そこからが参道です。鳥居の向こう側には奈良県との府県境をなす生駒山の山系が連なり、霊気のある風を吹き降ろしています。

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東大阪市大阪市の東成区、鶴見区などと接し、ひところは、東京の大田区と並ぶ中小企業の工場の集積地帯として有名でしたが、最近はどうなのでしょうか。

 

瓢箪山稲荷神社の周辺には工場地帯の喧騒さは全くなく、大阪市のベッドタウンの趣です。

 

全国的な知名度はいまひとつかもしれないが、関西では伏見稲荷豊川稲荷と並んで、「三大稲荷」に数え上げられているそうです。

 

古墳に祀られた稲荷神

 

瓢箪山稲荷神社という社名の由来は、稲荷神の祀られている古墳が瓢箪の形をしているからです。

 

円墳を横に二つ連ねた「双円墳」と呼ばれるタイプの古墳だそうです。

 

たしかに、瓢箪のようなかたちです。

 

全長は五〇メートル、高さ四メートルで、六世紀の前半の造営。横穴式の石室があり、かつては狐が住んでいたとも伝えられています。

 

本殿、拝殿は瓢箪形の古墳のすぐそばにあり、拝殿に立つと、古墳そのものを拝むことになります。

まるで、古墳がご神体のようです。

 

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写真ではうまく撮影できなかったのですが、鳥居の後が古墳です。

 

 

同神社の由緒などをまとめた「瓢たん山栞」には、豊臣秀吉との関わりをこう記しています。

「その昔、天正十一年二月、秀吉公が大坂築城に当たり、『巽の方三里の外に稲荷大神を勧請し家宝を納めて鎮護神とする』といふ古式に則り、侍臣片桐且元をして鬼塚、大塚の古墳に金瓢を埋めて瓢型の聖地を整へ、伏見稲荷よりふくべ稲荷を勧請し、(中略)瓢箪山稲荷と号して尊崇殊に厚かりし(後略)」

 

山畑阿智彦宮司に話をうかがうことができました。

 

「私は秀吉公が金の瓢箪を埋めたという伝承を史実と信じていますが、物証があるわけではありません。あくまでも社伝です。

豊臣家ゆかりの文書、社宝などはないのですが、毎月十八日には秀吉公の命日にちなんだ御命日祭を行っています」

 

この神社に伝わっている占いの話が面白かったのですが、今回は秀吉と古墳がテーマなので省略します。

「辻占」という万葉集などにも見える古風な占いで、神社の看板には「日本三稲荷」とともに「辻占総本社」と書かれています。

  

古墳・稲荷・秀吉? 

 

僕がこの神社を訪ねたのは二〇〇九年十一月で、豊臣秀吉と稲荷の関係を調べるためでした。

しかし、あまりにも濃密な古墳の気配に圧倒されてしまい、自分のなかでは、このとき以降、「古墳と秀吉」がより大きなテーマとして浮上したのです。

 

瓢箪山稲荷神社のある界隈は「山畑古墳群」と呼ばれる古墳の群集するエリアで、古墳時代の後期となる六世紀から七世紀にかけての円墳、方墳、双円墳など六〇基以上が分布しています。

東大阪市立の博物館があって、一円が古墳の保存エリアのようになっています。

 

稲荷神社の祀られる双円墳は、考古学のうえでは「山畑五二号墳」(瓢箪山古墳)と命名されており、この古墳群において最大の規模です。

 

 

名古屋の熱田神宮の境外摂社高座結御子神社にある稲荷社に、幼少期の秀吉が母親と参詣していたという伝承がありますが、以前、申し上げたとおり、その神社は高蔵古墳群の円墳とともに祀られています。

 

それと同じく、「秀吉/古墳/稲荷」という三題噺めいた伝承が、東大阪市瓢箪山稲荷神社において確認できるのです。

 

瓢箪山稲荷神社のケースは、伝承とはいえ、秀吉とのゆかりは、秀吉が発給した確かな文書と重なる内容をもっており、より史実との接点の多いものです。

 

古文書とこの神社の接点については、別の機会に書くことにします。

(つづく)

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瓢箪山稲荷神社の近隣には、このような古墳の跡が点在しています。秀吉ファンで、稲荷神に関心があり、古墳マニアには必見のスポットですが、そんな人、いるのでしょうか?