幕末の歴史書『大日本野史』にも「豊臣秀吉・中国人説」が出ている?
幕末の歴史家として名高い飯田忠彦の『大日本野史』にも、「豊臣秀吉・中国人説」が記されている──と断定口調でいう自信はないのですが、妙な一文が秀吉伝記に挿入されているのです。
明人羽柴官の再生?
『大日本野史』は飯田忠彦が三十年以上を費やして一八五一年(嘉永四年)に完成させた歴史書。
本来、歴史の記述は朝廷の職務であり、それを正史と呼ぶのに対し、在野の人が編纂した私撰の歴史を「野史」というそうです。
与党に対する野党の「野」です。
水戸黄門こと徳川光圀が編纂した『大日本史』が十四世紀までしか書き及んでいないことから、飯田忠彦はその続編の執筆を志し、計二百九十一巻からなる大著を完成させました。
室町時代から江戸時代までの四世紀余りの歴史が詳述されています。名付けて『大日本野史』。
武将、公家、文人など著名な人たちの伝記が集成された伝記集という一面もあり、「武将列伝」のなかに「羽柴秀吉」の伝記が収められています。
幼少のころは日吉、尾張国中村の人で、「未だその父を詳かにせず」、父親が誰なのかよくわからない、と冒頭から不穏です。
それにつづけて、こう記されています。
将軍家譜に云ふ、出所詳かならず、異説区々なり、或は云ふ、木下弥右衛門の子なり、或は明人羽柴官の再生なりと、
秀吉の出自については異説がいろいろあって、よくわからない。木下弥右衛門の子であるとも、明人羽柴官の再生であるともいわれている──。
秀吉の時代の中国は明朝ですから、「明人」とは中国人のことではないでしょうか。
不勉強で申し訳ありませんが、もしかすると、まったく別の意味があるのかもしれません。
「羽柴官」もよくわかりません。
中国人という読み方が正しければ、「羽」がファミリーネーム、「柴官」 がラストネーム? どうも釈然としません。
「再生」もまた、意味不明です。
『大日本野史』にある秀吉の伝記を読んだだけの印象ですが、それぞれの史料の史実性を吟味することなく、玉石混淆で、さまざまなデータを盛り込んでいる感じです。
ただし、オカルト話には関心はなさそうなので、「再生」は魂の再生とか、輪廻転生とか、そちら方面の意味ではないはずです。
文脈からすると、前回のエントリーでとりあげた柳成竜の『懲毖録』と同じく、中国から渡ってきた人物が、羽柴秀吉の正体であるということを述べていると筆者には見えます。
中国人の流れ者が日本で大出世したことを「再生」と言っているのでしょうか。「大変身」ということでしょうか。
このくだりについて解説してくれている文献を探しているのですが、見つかりません。
志士にして歴史家、安政の大獄に死す
飯田忠彦 自画像
幕末のころ、『系図纂要』という非常に網羅的な系図集が編まれており、現代の活字本でも出版されています。
編者が誰かは不詳なのですが、飯田忠彦が編者であろうといわれています。
『大日本野史』も『系図纂要』も、現代の歴史家からの評価は芳しくないようですが、個人編纂の書籍としては、おそるべきスケールです。
『大日本野史』の著者は、時代の端境期に生きた、大きな精神をもった知識人でした。
飯田忠彦はもともと武家の生まれですが、有栖川宮の支援をうけて研究と執筆をつづけました。
学者という枠におさまらず、「幕末の志士」というべき政治活動をしていた人です。
幕府の監視対象となり、たびたび投獄されています。安政の大獄に連座し、自ら命を絶ちました。
(つづく)