桃山堂ブログ

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羽犬伝説──秀吉ゆかりの「翼のある犬」の正体は何なのか?

羽犬塚という町は福岡県筑後市の中心部にあります。「はいぬづか」と読むちょっと変わったこの地名の発祥をめぐって、豊臣秀吉と「羽犬」すなわち翼のある犬の伝説が語られています。今回は、電子書籍シリーズ「秀吉伝説集成」の一作『秀吉と翼の犬の伝説』を紹介しつつ、羽犬伝説について書いてみます。 

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JR羽犬塚駅前ロータリーの羽犬銅像

 

羽犬塚駅前には、偉人のような羽犬の銅像

 

博多と熊本、鹿児島を結ぶJR鹿児島本線羽犬塚駅があります。快速電車であれば博多から四十五分程度。

JR羽犬塚駅ロータリーに銅像があり、町の名士の銅像でものっていそうな重々しい台座ですが、ブロンズの犬がペガサスのように二つの翼を広げて、いままさに飛び立とうとしています。

鳥のような翼を持つ犬、すなわち「羽犬」を葬った塚が築かれたことによって、この地を羽犬塚と呼ぶようになった。地元ではそう語りつがれており、その説話の主役が豊臣秀吉なのです。

 

天下統一の戦の途上にあった豊臣秀吉が、薩摩国の島津氏を制圧すべく、十万を超える雲霞のごとき大軍団を率いてこの町を通過したのは、天正十五年(一五八七)四月のこと。熊本を経て、鹿児島へ入った秀吉軍。総力戦に至るまえに島津氏は降伏し、秀吉はふたたびこの町を通って、博多へと凱旋します。

 

羽犬伝説 二つのバージョン

羽犬伝説には二つのバージョンがあるのですが、羽犬塚駅前にある筑後市役所の説明パネルをもとに紹介してみましょう。

 

  • 九州遠征に来た秀吉は「羽のある犬」を連れていた。しかしその愛犬はこの地で病気にかかり死んでしまった。秀吉が羽のある犬のために塚をつくり葬ったことから、この地は羽犬塚と呼ばれるようになった。

 

  • 昔、この地に翼のはえた犬がいて、人や家畜を襲い、住民から恐れられていた。秀吉が九州遠征した際、この羽犬によって行く手を阻まれ、大軍を繰り出しやっとの思いで退治した。秀吉は、羽犬の賢さと強さに感心し、犬のために塚をつくり丁寧に葬った。

 

荒唐無稽な伝説とはいえ、それらしい史実の「種」があったに違いない。そう考える人は少なくないようで、文献的な探索はつづいていますが、残念ながらその成果は乏しいようです。

秀吉のそばに犬がいて、九州遠征の途中に死んだという史実でもあれば、羽犬伝説の歴史学的な評価はぐんと上がるのでしょうが、秀吉が愛犬家だったという記録もなさそうです。

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羽犬塚駅まえでは、羽犬マークのタクシーがお出迎え。

 

羽犬と黄金の聖獣グリフィン

電子書籍『秀吉と翼の犬の伝説』では、現実の歴史とはすこし距離をおいて、神話・伝承の世界のなかで、羽犬伝説とは何かを検討します。

世界各地の文献には、さまざまな形の空想上の「幻想動物」が記録されていますが、翼のある獅子(ライオン)であるグリフィンは、羽犬とよく似た形態をもっています。黄金を発見し、それを守護すると信じられた聖獣グリフィンを糸口として、羽犬伝説の神話的なバックグラウンドを考えています。

 

『秀吉と翼の犬の伝説』を、途中まで読んでいただける「立ち読みリンク」を用意しました。

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秀吉と翼の犬の伝説 - つながりで読むWebの本 YONDEMILL(ヨンデミル)

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