朱の石を磨りつぶして、朱の砂とすること。
文春新書『邪馬台国は「朱の王国」だった』(7月20日発売)に関係する話題を、写真をつかいながら、紹介してみます。第一回は、本書の主人公ともいえる朱の鉱物です。
国旗である日の丸。神社の赤い鳥居や社殿。朱塗りの漆器。印鑑の朱肉。私たちの身のまわりには多くの朱色があり、日本という国のシンボルカラーといっていいかもしれません。現在の朱色は人工的な塗料が大半ですが、古代以来の正統な朱とは、水銀と硫黄の化合物である硫化水銀(HgS)です。
あざやかな赤味を帯びた石、砂として自然界に存在しています。
朱の鉱物
鉱物名は辰砂(しんしゃ)。
考古学では、水銀朱と呼ばれています。
朱(硫化水銀=硫黄と水銀の化合物)から、硫黄を分離すれば、水銀を得ることができるからです。
奈良県宇陀市から桜井市にかけてのエリアには、日本列島で最大の朱の鉱床があったと目されています。
古代から採掘されていますが、長い休止期間を経て、明治時代以降、再開発されています。
標本の説明文にある宇陀郡は現在の宇陀市。筆者所有。
三重県伊勢地方は奈良と並ぶ古代朱産地。
上の写真の朱石(辰砂)は、三重県伊勢市に隣接する度会町のふるさと歴史館所蔵。
日本列島には数多くの朱産地があったとみられていますが、とくに朱産地が密集している四つのエリアが専門家によって明らかにされています。
奈良と伊勢地方の二か所に分布する「大和鉱床群」、徳島県を中心とする四国の「阿波鉱床群」、長崎県と佐賀県の「九州西部鉱床群」、大分県から鹿児島県にかけてひろがる「九州南部鉱床群」です。
上の写真の辰砂は、徳島県阿南市で採掘されたのもの。徳島県立博物館所蔵。
上の写真は、大分地質学会の元会長、野田雅之氏のご自宅を訪ねて、話を聞かせていただいたとき、撮影させてもらったものです。
金山と朱の鉱床が重なっている事例は、いくつも報告されていますが、別府金山もそのひとつです。
朱の鉱石は、このような石臼、石杵によって、磨りつぶされ、砂状にされたと見られています。徳島県立博物館所蔵。
粉状に磨りつぶし、水に沈めて、不純物を除去するなどして、純度の高い朱砂をつくっていました。
写真の朱砂は、古墳のなかにまかれていたもの。福岡県立糸島高校の郷土博物館所蔵。
中国産の朱、国産の朱
ところで、弥生時代の九州北部や日本海エリアでは、中国産の朱(辰砂)が輸入されていたことが、理化学的な分析や考古学の研究によって明らかになっています。
どうして、同じ朱(辰砂)なのに、中国産、日本産の違いがわかるかというと、見た目がまったく異なっているからです。
上の写真は、中国の貴州省で採取されたものです。中国とはいえ、少数民族が住むような内陸部、つまり、インド寄りの地方です。
私が持っているものなので、それほど良い標本ではありませんが、下のウィキペディア掲載の中国産辰砂はルビーのような光沢です。
奈良、伊勢、四国、九州の朱の鉱物は、どこから見ても「石」ですが、中国産の朱の鉱物は、宝石のような光沢をもっています。
鉱物の分類においては、朱の鉱物、辰砂(硫化水銀)ですが、構成元素である硫黄の原子レベルには差異があり、それによっても国産、中国産の区別ができるそうです。