桃山堂ブログ

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孫栄健『決定版 邪馬台国の全解決』──〝司馬氏史観〟で読み解く試み魏志倭人伝

邪馬台国ブックリスト③

 

文春新書『邪馬台国は「朱の王国」だった』を書くにあたって、邪馬台国かんけいの本を、旧作、新作とりまぜて可能なかぎり目を通しました。そのなかで最もインパクトのある本だとおもったのが、孫栄健氏の『決定版 邪馬台国の全解決』です。

もっとも、『邪馬台国は「朱の王国」だった』のなかで引用・参照したわけではなく、巻末の参考文献にもあげていません。私は邪馬台国の研究者でも専門家でもないので、孫栄健氏の結論そのものを論評する資格はないのですが、この著者の知的バックグラウンドや論述の方法論にすごく興味をもちました。

 

 

決定版 邪馬台国の全解決

決定版 邪馬台国の全解決

 

 

邪馬台国本の王道

著者の孫栄健氏は1946年生まれ、大阪市在住のプロの物書き。中国系のお名前ですが、巻末の略歴をみるかぎり、日本語で書いている人のようです。著作一覧には中国かんけいの著作のほか、『Windows基本の基本』『一夜づけのOutlook』(いずれも明日香出版社)などパソコン関係の本や経済書もあるので、ITにも強いライターという感じなのでしょうか。

詩人、作家の肩書きもあります。

 

孫栄健氏は古代中国の史書について、日本人の大学教授顔負けの知識をもっている──かどうか、無学な私には判断するだけの能力がないのですが、すくなくとも、そうした前提でこの本の論述は進められています。

 

著者は、「魏志倭人伝」をおよびそれに関連する史書を徹底的に掘り下げて、ひとつの結論に達しています。

近年の邪馬台国本の多くは、考古学の成果をご都合主義で引用して、持論を展開するような傾向があります。

これに対し、孫栄健氏の論述は、潔いほどに、中国語文献の世界のなかで完結しています。正確にいえば、ほぼ完結しています。

 

邪馬台国」という国は、「三国志」の魏志倭人伝、「後漢書」「隋書」をはじめとする中国語の文献に記録されているだけなのですから、『決定版 邪馬台国の全解決』は、邪馬台国本の王道を歩んでいるといえます。

 

諸葛孔明のライバル司馬懿

このブログのタイトルにかかげているとおり、孫栄健氏の邪馬台国論のベースにあるのは〝司馬氏史観〟です。

この司馬氏とは、司馬遼太郎氏のことでも、司馬遼太郎氏があやかろうとした「史記」の著者である司馬遷のことでもなく、魏の将軍・政治家である司馬懿の一族です。司馬一族をクローズアップすることで、「魏志倭人伝」はこれまでとまったく異なる容貌をもって立ち現れてくるのです。

その物語を信じるかどうかは別として、そこに至る論証はなかなかスリリングです。

 

司馬懿というより、司馬仲達という方が、日本語文化圏では有名かもしれません。

死せる孔明、生きる仲達を走らす──。

諸葛孔明のライバルの仲達が、司馬懿のことです。諸葛孔明諸葛亮)、司馬仲達(司馬懿)というと、軍師という言葉が連想されますが、現実には軍事にもたけた政治家というべき存在です。

 

どうして、諸葛孔明のライバルが邪馬台国にかかわってくるかが問題です。

三世紀前半の東アジア世界は、大帝国であった後漢が滅亡し、魏呉蜀の三国が競う、混沌とした時代でした。

朝鮮半島は、後漢のもとで当地に勢力をもっていた公孫氏という一族による半独立国家のようになっていましたが、司馬懿の率いる魏の軍勢が朝鮮半島に赴き、制圧します。その結果、公孫氏の支配は消滅し、朝鮮半島の実効支配者は魏となります。

三世紀前半の景初二年(別の文献では景初三年)に、卑弥呼の使者が朝鮮半島にある魏の出先機関に赴いたという「魏志倭人伝」の記事は、ちょうどこのころのことです。

 

その後、司馬懿は宮廷クーデターを成功させることなどを通して、政権の実質的なトップとなり、多少のアップダウンはあっても、その大権は息子の司馬昭に継承され、司馬懿の孫の司馬炎は、魏の皇帝からの禅定という形式をとり、晋の初代皇帝として即位します。この人が高校の歴史教科書にも出ている晋の武帝で、およそ百年ぶりに中国の統一を実現しました。

晋の初代皇帝は、朝鮮半島を制圧した司馬懿の孫にあたる──というところがポイントです。

 

教科書的には、魏と晋は別の国ですが、『決定版 邪馬台国の全解決』の孫栄健氏が強調しているのは、晋という国は、魏の官僚組織、軍隊をそのまま受けつぐ形で建国されたという事実です。もしかすると、皇帝の王宮も譲り受けたのかもしれません。

株式会社にたとえれば、側近の重役がオーナー家を追放して新社長に就任し、社名だけ変更して、営業をつづけるようなものでしょうか。

 

魏という国は、三国志の物語や「魏志倭人伝」をとおして、日本人にもなじみが深いので、立派な国であったような先入観をもちがちですが、220年から265年まで、45年ほどの短命国家で、その後半は、司馬氏が実質的な支配者となり、その流れで司馬炎による晋の建国に至るということに、孫栄健氏は注目しているのです。

 

魏志倭人伝」をふくむ「三国志」という史書の著者である陳寿は、晋の司馬炎につかえる官僚でした。

晋の建国に至る歴史の起点は、司馬懿にあり、朝鮮半島を制圧し、倭国をてなずけたことはその記念すべき業績のひとつである。

倭国かんれんの資料は、司馬懿の配下によって保存され、「魏志倭人伝」の著者である陳寿の手元にもたらされた。

司馬一族に対する〝忖度〟を抜きに、「魏志倭人伝」を読むことはできないという論点が、『決定版 邪馬台国の全解決』のヘソとなっています。

 

ひと昔まえの邪馬台国研究者のなかには、陳寿の能力および人間性を非常に高く評価し、記述のすべては真実に触れているとして、あれこれ新解釈を提起する傾向もありましたが、孫栄健氏は陳寿をたとえて、

言論弾圧独裁国家での新聞記者

と言っています。

真実を知ってはいても、それをそのまま書くことは許されない。

しかし、真実を伝えたいという歴史家としての誇りはある。

ぎりぎりのバランスのなかで、倭国についての文章は書かれた。

だから、私たち現代人が真実を読みとるには、陳寿による〝忖度〟の実相を明るみにするしかない。孫栄健氏の「魏志倭人伝」解読の方法論はそのことにつきています。

 

 

衝撃のエピローグ

魏志倭人伝」の解読に、「司馬氏」という変数を加えることで、従来、難解とされていた疑問点のいくつかが、すらすらと解き明かされ、思わぬ回答が示されます。

その結論に納得するかどうかは別に、その手際はあざやかで拍手喝采です。

この本は学術論文のスタイルはとっておらず、著者ご本人がおっしゃられているように、「探偵小説」のように楽しく読める作品です。

 

したがって、「探偵小説」における事件の解決に相当する邪馬台国の場所や卑弥呼の墓の所在地はここで書かないのがルールだと思います。

気になる方は、このブログを予告編として、ぜひ、本編を読んでいただきたいと思います。

 

しかし、この本がよく出来た邪馬台国本という範疇を超えているのは、邪馬台国の場所を名指しし、一件落着となったあと、衝撃のエピローグが展開されているからです。

 

魏志倭人伝」の記すところによると、卑弥呼は王宮にこもって祭祀にあたり、政治の実務は弟がとっていたといいます。

孫栄健氏は、この弟が卑弥呼を殺害し、王位に就いたという新説を提唱しているのです。そして、その黒幕は司馬懿

魏志倭人伝」には、即位した男王に倭国の人々は従わず、混乱は戦闘状態に至り、千人が殺害されたと記されています。

 

この新説だけでも驚愕ですが、孫栄健氏はさらにスケールの大きな新説を加えています。

この邪馬台国における姉と弟の闘争が、古事記などに記されているアマテラスの岩戸隠れの神話の元ネタとなった歴史的な事件であったというのです。

 

岩戸隠れの神話とは、傍若無人のふるまいをする弟のスサノオに怒った姉のアマテラスが、岩の穴にひきこもってしまったため、世界は光を失い、たいへんな混乱状態に陥るという話です。神々の必死のはたらきかけによって、アマテラスが岩穴から出て、世界は光をとりもどし、スサノオは神々の世界から追放されます。

 

孫栄健氏は、「魏志倭人伝」と「古事記」を以下のように結び付けます。

  • アマテラスが岩穴に隠れることは、卑弥呼の死と埋葬をあらわす。
  • 傍若無人スサノオは、卑弥呼の弟による圧政をあらわす。
  • 「常夜」と記されている永遠につづく夜は、卑弥呼亡き後の倭国の混乱をあらわす。
  • アマテラスの復活とは、13歳の少女、台与が卑弥呼の後継者として擁立された史実を神話化したもの。

 

私が以前、執筆した文春新書『火山で読み解く古事記の謎』では、アマテラスの岩戸隠れを、超巨大な火山噴火によって、太陽が輝きを失う「火山の冬」とよばれる現象とむすびつける説を紹介しました。

 岩戸隠れには、弱った太陽の光の復活を祈る「冬至の祭」説、「日食」説などの解釈があることも知られています。

 

しかし、卑弥呼とその弟による悲劇的な闘争が、元ネタになっているという解釈は初耳です。

この新説も面白いですが、こうした解釈を誘発する古事記神話のふところの深さに改めて畏敬の念をいだいてしまいました。

 

 

このタイトルを見て、手を伸ばす古事記ファンはいないと思いますが、この本は古事記ファンにこそ読んでいただきたい本です。

私がこのブログで紹介記事を書いてみたいと思ったのも、じつは、古事記と「魏志倭人伝」をリンクさせた番外編的な部分がすごく面白いとおもったからです。

 

邪馬台国の全解決』は、〝司馬氏史観〟という切り札によって、みごと、難事件を解決したかに見えながら、その結論は、古事記神話とむすびつくことによって、新たな謎を提起することとなりました。

古い謎は新しい謎を招き、歴史の闇はさらに濃くなったと言うしかありません。