桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

邪馬台国に関心のある方は必見! 本日10月4日発売『週刊文春』の「私の読書日記」(鹿島茂氏執筆)は邪馬台国本の紹介です。

本日10月4日(東京周辺など)発売の『週刊文春』に掲載の書評ページ「私の読書日記」は、<邪馬台国研究の秀作、傑作>というタイトルをかかげ、邪馬台国本を三作とりあげています。そのうちの一作として、拙著『邪馬台国は「朱の王国」だった』が紹介されました。今週の評者は明治大学教授の仏文学者、鹿島茂氏。「私の読書日記」は、立花隆氏、池澤夏樹氏など六氏が毎週交替で執筆している書評ページです。

 

 

鹿島茂氏と日本の古代史というと意外なむすびつきのように見えますが、休刊となった『新潮45』に日本史かんけいの連載をはじめるにあたり、古代史、日本史の新刊書をチェックしていたそうで、その一冊が『邪馬台国は「朱の王国」だった』であったようです。

 

週刊文春』から、さわりを引用させていただきます。

 

読売新聞の経済記者だった著者は、退職後、巨大古墳のある土地を歩きながら、いったいどれくらいのコストがかかったのか、また古墳造営財源はどこから捻出されたのかという根源的疑問を抱く。

これは実に正当な問いで、歴史を読み解くカギは常に「その金は誰が出しているんだ?」という問いに行き着くと私も思う。(中略)

 

つまり、古代においては中国・朝鮮相手の有力な輸出品だったわけで、巨大古墳の財源だったという仮説は十分成り立つ。げんに『魏志倭人伝』にも「その山には丹あり」という記述がある。

 

さらに、記紀神話を朱を巡る歴史として読みとることも可能になる。

すなわち、日向への天孫降臨、その子孫の伊勢・奈良への大遠征のコース、神功皇后の西征のジグザグ、土蜘蛛の謎、ヤマトタケルの悲劇など、朱というキーワードで読み解くと、下部構造と上部構造が見事に結びつくのである。

たんなる思いつきや奇説ではない。論文仕立てにして論拠・典拠を明記すれば学術論文として十分に通る内容の本である。

 

鹿島氏はこの書評のなかで、私が『邪馬台国は「朱の王国」だった』を書いたとき、武藤与四郎氏の『日本における朱の経済的価値とその変遷』が最も重要な参考文献であったことも紹介してくれています。

 

『日本における朱の経済的価値とその変遷』は1969年に刊行された本で、邪馬台国およびそのあとのヤマト政権は、朱の採掘と輸出によって繁栄したというテーマで書かれています。<朱の歴史>を考えるうえで、欠かせない論考のひとつです。

武藤氏は、伊勢地方の朱の採掘にも関与している鉱山関係者ですが、歴史学のうえでは、アマチュア研究者です。

そのためか、『日本における朱の経済的価値とその変遷』には重要な論点がいくつも提示されているにもかかわらず、刊行当時もその後も、論評された形跡がありません。

 

メジャー週刊誌である『週刊文春』の書評ページに、『日本における朱の経済的価値とその変遷』というタイトルと武藤与四郎氏の名前が出たことは画期的です。

私は武藤氏の親戚でもないし、直接の面識があるわけではありませんが、本当にありがたいことです。すこし大げさな言い方になりますが、何よりの供養になるとおもいます。

 

『日本における朱の経済的価値とその変遷』については、以前、このブログで紹介しています。

 

motamota.hatenablog.com

 

鹿島茂氏の「私の読書日記」では、孫英健氏の『決定版 邪馬台国の全解決』も主要な話題となっています。 

 

たとえ歴史書として疑問を持つ人でも、該博な漢文知識と合理的思考に裏付けられた作者の暗号解読には脱帽せざるを得ないはずだ。歴史推理の傑作である。 

 

邪馬台国は「朱の王国」だった』を執筆するまえ、邪馬台国かんけいの本を渉猟しましたが、私もこの本を非常に面白いとおもいました。

朱の歴史との接点はまったくない内容なので、拙著では参照・引用していませんが、それとは別に、ブログで紹介記事を書きました。 

 

あわせて、ご覧いただければとおもいます。

 

motamota.hatenablog.com