桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

写真家、高草操さんの新刊『人と共に生きる 日本の馬』は、美しい歴史の断片に満ちている。

高草操さんは、馬の撮影を専門分野のひとつとするフリーランスカメラマンです。馬といっても、サラブレッドをはじめとする競走馬ではなく、農業や運搬など人びとの暮らしとともにあった日本の馬たちに心を寄せています。高草さんの新著『人と共に生きる 日本の馬』(里文出版、2020年4月刊)は、馬にかかわる歴史の、美しい断片に満ちています。

 

全国各地の馬の歴史についての詳細な参考文献も記されており、こちらも充実した内容です。

 

f:id:kmom:20200420111729j:plain

人と共に生きる 日本の馬

人と共に生きる 日本の馬

  • 作者:高草 操
  • 発売日: 2020/03/27
  • メディア: 単行本
 

 

 

戦後からまもない間、日本各地の風景のなかには、働く馬たちがごく自然に存在していた──といわれても、それを実感をもって理解するのが難しいと思います。

 

ただ、限られた数ではあるものの、今でも、暮らしのなかに馬の記憶を濃厚にとどめている地域があります。

 

高草さんは、そうした地域に足を運び、写真と文章によってそれを記録する活動を続けています。この本はそうした活動をふまえた、臨場感に満ちた報告です。

 

日本独自の馬種であるいわゆる在来馬のひとつ対州馬のいる長崎県対馬についてのくだりには、島の資料館で目にした「しんき節」という民謡の歌詞が、今では労働の現場で歌われなくなっている「馬追馬」であることを確かめ、対馬馬の歴史をより豊かな風景として実感したことが書かれています。

 

シャリン、シャリンと鈴の音が響く中、「しんきしんきと山路行けば、かさに木の葉がふりかかる……」と歌い手がゆっくり歌い始める。そのあとに「……はよう歩かにゃ、ぞうずは飲ませんぞ……」というセリフが入り、再びシャリン、シャリンという鈴の音が響く。(中略)「しんき節」は、薪や木炭が燃料だった時代、馬を引く人が険しい山道を行くときに我が身と馬を励ましながら口ずさんだ労働歌だったのだ。

 

これはまったく私個人のことですが、長崎県の離島である対馬は、だいぶ前に亡くなった私の父親が、二十代のとき、地方銀行員として赴任していた島です。

戦後十年たらずのころなので、馬が働く風景は健在だったはずです。

家族的な記憶も手伝って、とても印象深く読ませていただきました。

 

以前、青森県八戸市を訪れたとき、新羅神社という社名にひかれて足を運んだことがあります。社名の由来は朝鮮の新羅国とは直接は関係なく、新羅三郎こと源義光河内源氏二代目・源頼義の子、八幡太郎義家の弟)の子孫である南部氏にかかわる神社であることによるようです。

 

新羅神社は「騎馬打毬(だきゅう)」を伝える神社として知られています。

「騎馬打毬(だきゅう)」とは、馬上の武士がゴールを競い合う日本独自のポロ。国内三カ所でしか継承されていない貴重な古式馬術ですが、そのうちのひとつが新羅神社です。

 

高草さんは『人と共に生きる 日本の馬』のなかで、年に一度の祭りで奉納される騎馬打毬のようすをレポートしています。赤白の二組に分かれた八人の騎手が、三本勝負でゴールを競い合うのだそうです。

 

江戸時代、国内で最大の馬産地とされる南部藩ですが、その伝統を背景とする騎馬打毬が現在まで伝わっている最大の理由は、「免許制度」があったからだと、高原さんは指摘しています。

この免許制度が現在も続いているということも初耳でした。馬の歴史とともにあった南部藩の熱意に、改めて感心してしまいました。

 

目新しい話が満載されているこの本のなかでも、私が最も驚いたのは、「物流を支えた馬たち」という項目でした。

東京都内のトラック業者のうち、少なからぬ業者が、馬による運搬業の流れをくんでいる──という知られざる歴史が述べられているのです。

 

東京都江東区南砂の住宅街には、都内で最大の馬頭観音があるそうですが、この観音を管理しているのは、隣接するビルに入居する東京トラック同盟協同組合。境内の周囲には、運送会社の社名を彫った石柱が立ち並んでいるといいます。

トラック業界の前史が、馬による輸送と直接、つながっていることが、この逸話ひとつで了解できます。

 

物流業界の名門、日本通運と馬とのかかわりについても書かれていますが、驚くべき内容です。私はまったく知りませんでした。

 

戦時中の昭和十六年、小運送業再編が行われ、これを統括するための国営会社・日本通運(株)が創立された。会社は多くの馬力業者と千頭以上の馬を所有する巨大な馬力運送会社となるが、いつでも軍馬を徴発できるようにと言う軍部の目的も兼ねていた。

(赤字は引用者)

 

 日通に三千頭の馬!

 

 これだけでも、驚異の風景です。

 

 日本の物流の歴史のなかで、「馬力運送は昭和三十年代前半まで活躍していた」というのですから、ちょうど今から五十年まえくらいに境界線があることになります。

 

農作業の現場で、馬の姿がほとんど見えなくなるのも、だいたい同じ時期ではないでしょうか。

 

高草さんが書いておられるように、日本社会の労働の現場で、馬たちが経済的な価値を発揮できる場所はなくなってしまっています。

 

地域に生きた馬たちの歴史を保存しようというさまざまな取り組みがあることは、この本のメインテーマのひとつとして取り上げられていますが、それがいかに困難なことであるかも伝わってくる報告となっています。

 

プロの写真家だけあって、一枚一枚の写真に、説得力がありますが、私がいちばん感銘をうけたのは、山に囲まれた沼地のような場所で、水浴びを楽しんでいるトカラ島の馬たちの風景です。

 

馬は風景に気品を与えることのできる動物です。

 

生き物を外見の善し悪しで評価するのは、一種の差別かもしれませんが、

馬は誰が見ても、美しい動物であり、高貴ですらあります。

 

馬のいる風景には独特の品格があるだけでなく、日本社会から失われている「ゆったりとした時間感覚」のようなものが漂っています。

 

馬のいる風景の素晴らしい価値を、高草さんのこのカラー写真は、見開きの大きなサイズをとおして教えてくれます。

 

日本列島における馬の文化の今を知り、未来を考えるうえで、貴重な情報が満載された本です。

 

人と共に生きる 日本の馬

人と共に生きる 日本の馬

  • 作者:高草 操
  • 発売日: 2020/03/27
  • メディア: 単行本