桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

豊臣秀次──捨て子の側室をもつ関白

f:id:kmom:20160715142030j:plain

 自分撮影。秀次をとむらうため、母が開いた瑞龍寺(滋賀県近江八幡市

 

 

 秀次の側室リストの三〇人

僕がやっている小さな出版社のテーマのひとつが豊臣秀吉なので、このブログでも時々は、そちら関係の話題を書きたいとおもっています。

NHK大河ドラマ真田丸』の次回をもって、関白秀次が死んでしまうので、きょうは、秀次です。

 

秀次には、正妻と側室が三〇人くらいいたといわれています。

この側室集団のなかに、捨て子だった女性がいた──ということに注目してみたいとおもいます。

 

真田丸』の秀次は、「能力的にはいまひとつだけど、いい人」という設定です。

荒淫のイメージはまったくないですが、長澤まさみ(役名きり)に、側室になってくださいと、盛んにアプローチしているので、政治的には消極的ですが、女性には積極的です。

 

真田丸』では、側室集団のことにはあまり触れていません。ただ、一回だけ、わたしのすべてを知って欲しい、と秀次が言って、三〇人くらいの女性が並ぶ部屋を、長澤まさみに見せて、驚かれるというシーンがありました。

 

織田信長の側近くに仕えた武将・太田牛一が江戸時代初頭に書いたとされる『太閤さま軍記のうち』には、秀次の妻妾たちの名前とともに、出身地、親の名前、辞世の和歌がリストアップされているので、掲載します。

 

捨て子の側室は、16番目の「お竹」です。

 

  1. 一の台  菊亭殿御息女   三十四歳
  2. おちやう 美濃の国、竹中与右衛門息女、十八、若君あり。 
  3. おたつ 尾張の国、山口少雲息女、十九、若君あり。 
  4. おさこ 北野松梅院息女、十九、若君あり。 
  5. 中納言 津の国、小浜殿息女、三十四。 
  6. おつまの御方 四条殿御息女、十七。 
  7. おいまの御方 奥州最上殿息女、十九。
  8. おあぜち 秋庭殿息女、三十一。 
  9. おあこ 美濃の国、日比野下野息女、廿二。 
  10. おくに 尾張の国、大島新左衛門息女、廿二。
  11. およめ 尾張の国、堀田二郎左衛門息女、二十六。 
  12. おさな 美濃の国、武藤長門息女、十六歳。 
  13. おきく 津の国、伊丹兵庫頭息女、十六歳。 
  14. おまさ 斎藤吉兵衛息女、十六。 
  15. おあひ 京衆、古川主膳息女、二十四。 
  16. お竹 すてご 
  17. おみや 一の台の御むすめ、十三歳。 
  18. 左衛門のこう 河内、岡本彦三郎息女、三十八
  19. 右衛門のかう 村善右衛門妹、三十五。 
  20. おみや 近江の国、高橋むすめ、四十二。
  21. ひがし殿 美濃の国、ふしん女房、六十一。 
  22. こせう  びぜん衆、本郷主膳女房の姪、廿四。 
  23. おなあ 美濃の国、坪内三右衛門息女、十九。 
  24. おふぢ 京衆、大草三河むすめ、廿一。 
  25. おきみ 近江衆、三十四。 
  26. おとら 上賀茂、岡本美濃息女、廿四。 
  27. おここ 和泉のたにのわ息女、廿一。 
  28. おこほ 近江、なまづゑ才助むすめ、十九。 
  29. せう 越前衆
  30. おこちや 最上衆。

 

ちょうど三〇人います。

秀次には三〇人くらいの側室がいたという数字の根拠はここにあるようです。

でも、六十一歳のおばあさんもいるので、全員が側室ということではないようです。

 

 

「すてご」から関白夫人になった不思議な一生

 

秀次について最も詳細な情報を知りうる『豊臣秀次の研究』には、「関白双紙」という古文献が所収されており、お竹について、

「お竹とて十七に成給ふ捨て子にてはありけれども、見目形、生まれつき尋常やかに見えければ、御手かかると聞こえけり」(原文は濁点なし。漢字仮名表記一部変更)

と記しています。

 

捨て子だったけれど、十七歳でとても美人なので側室に加えられたというだけで、具体的な背景は不明です。

 

豊臣秀次の研究』によると、別の文献には、お竹には秀次とのあいだに女児があったこと、京の一条辺で拾われたことが書かれているそうです。

 

実の親に捨てられたのは気の毒ではありますが、その後、誰かに拾われて育てられたことになります。社会的には、育てた人が親であるはずです。 

それなのに、お竹のプロフィールに、親の名前がない。

 

そのように身元のはっきりしない女性を、側室におくことは、誰がかんがえても、セキュリティ的に問題が大きすぎます。 

 

寝ているときに、グサリという身体的な危険だけではなく、この女性がそちら方面の専門家なら、情報が漏れるおそれがあります。 

くノ一(女性忍者)が大活躍する山田風太郎作品の読み過ぎでしょうか。 

お竹さんにはまことに失礼なことですが、関白秀次の medical な面も心配になります。

 

どのような条件があれば、捨て子であっても、この女性の危険性がほぼゼロだと秀次およびその周辺の人たちが信用できるのでしょうか。

 

それは、秀次本人あるいは彼の両親など身近な人が、捨てられていたお竹をひろって、自分たちの手元で育てたケースです。 

育ての親の名前が記されていない謎もそれで解消します。

 

でも、現実にそうしたことがあったという可能性はものすごく低そうなので、結局、謎だけがのこります。

 

このリストには、処刑された一人ひとりの辞世が載っています。お竹の歌もあります。

 

  

「夢ほども知らぬうき世にわたりきて つまゆへ身をばちりとなしけり」

 

 

なんとなく、気持ちは伝わってきます。

 

実の親に捨てられ、そのまま死んでいたかもしれないこのわたしが、不思議な縁により、聚楽第の関白邸で暮らすという夢のような日々を生きてきたけれども、今度は、その人の妻というだけの罪で、チリとなり消えゆくのか、悲しいけれど、それならそれで、ま、いいか、

なんてことはどこにも書いていませんが、生きてきたことも、死んでゆくことも、夢のなかの出来事のような淡い感情が見えるようです。

 

 

意外と高かった側室の地位

秀次の正室は、織田信長の重臣でもあった池田恒興の娘だといわれていますが、秀次事件のあと、助命されています。

 

リストの1番目の「一の台」も正妻あつかいされていたそうです。

秀次の享年は二十八歳から三十二歳まで諸説があるようですが、どちらにせよ、三〇歳前後です。

一の台は三十四歳とあるので、姉さん女房ということになります。

 

この女性はもともと秀吉のもとにいたけれど、いったん実家に戻り、そのあと密かに、関白秀次のもとに送り出されたということが、江戸初期の文献『川角太閤記』に書かれています。史実とはおもえませんが、秀吉にもなにか因縁があったのでしょうか。

 

豊臣秀次の研究』(藤田恒春)に掲載されている「関白双紙」という古文献では、一の台を武田信玄の孫としています。孫ではなさそうですが、母方で武田家とつながっているという指摘がなされています。

 

僕が運営している一人出版社桃山堂から、『豊臣秀吉の系図学』を出したとき、日本家系図学会の会長宝賀寿男先生に、くりかえし、インタビューというか、レクチャーをうけました。

 

そのとき、現代日本人のほとんどは、「側室」という存在を誤って理解しているという話が出ました。およそ次のような内容です。

 

正妻と側室を、妻妾というが、「妾」には、メカケという読みがあり、現代の日本語では、法的な配偶者としての権利をほとんどもっていない愛人のような意味でつかわれている。

しかし、江戸時代までの武家社会、公家社会における「妾」は、正妻に準ずる資格をもっており、現代のメカケとはまったく違った存在だ。

「妾」の生んだ子どもにも、家督を継承する権利はあったので、当時の「妾」は、法的な権利をもつ「妻の一種」とかんがえたほうが実態を正しくつかむことができる。

 

出自が捨て子であったとしても、側室のお竹は、正統な秀次の妻のひとりだったのです。

秀次とお竹のあいだに男児があったという情報はありませんが、もし、「秀次事件」が起きず、関白秀次の時代が長くつづいていれば、お竹が男児を産んだかもしれません。

 

真田丸』では、秀吉は貧しい百姓の子供という設定ですが、定説とはいいがたく、秀吉の出自については、村長(むらおさ)、足軽、職人、商人、被差別民など、諸説紛々としています。

宝賀寿男氏へのインタビューを柱として構成した『豊臣秀吉の系図学』では、渡来系の鍛冶集団の子孫であるという系図資料を手がかりとして、その謎に迫っています。

 

秀吉には、四書五経をはじめとする公家流の教養はありませんでしたが、奔流のような野生の思考によって、乱れた世を整え、天下人の地位を得ました。

 

秀吉は淀殿が産んだ最初の男児に、「捨て」という名前をつけています。

捨て子は元気に育つという迷信と解釈されていますが、捨て子という極限状態を、演劇的な設定とはいえ体験させることに、意味があるのでしょうか。

 

秀吉は、この世界の極限をリアルに知っている人でした。

 

捨て子の母親をもつ男児が誕生していれば、秀吉が創始した政権の後継者として、これ以上にふさわしい存在はいない気がするのですが、机上の空論にもならない、まったく、意味のない空想です。

 

 

f:id:kmom:20160724144612j:plain

自分撮影。瑞龍寺境内。