本とアマチュアリズム
アサガオ咲いた。
なぜ、秀吉本企画はボツになったのか
豊臣秀吉の<謎>をテーマとする本を企画し、主だった出版社に企画を売り込んだのですが、すべてボツだった経緯については、すでに報告させていただきました。
きょうからは、それをふまえて、「なぜ、あの企画書はボツだったのか」というテーマで、一人反省会をやってみようとおもいます。
売り込み作戦に失敗したあと、いろいろと出版の可能性を探った末、一人出版社桃山堂をたちあげました。ボツになった企画をスタートラインにして、秀吉にかんする本(+その他)を出しています。
ただ、当初の企画と実際に出版した本は、いくつかの点でちがっています。
第一のちがいは「著者」にあります。
出版社に送った企画では、僕が取材し、自分の名義で原稿を書くという形態でした。
「歴史ライター」として本を書かせてください、という趣旨であるといえます。
桃山堂から本を出す場合、僕が専門家や関係者にインタビューし、その人の言葉を紹介するかたちで、僕が原稿を書くケースが多いです。
この場合の「著者」は、インタビューをさせていただいた専門家、関係者の方です。僕はゴーストライターではありませんが、裏方になるわけです。
すこしだけ面倒な法律的な話をしますと、桃山堂の本は、インタビューをさせていただいた専門家、関係者との共同著作物となっています。
いま風の言葉でいえば、コラボです。
したがって、著者は複数連名です。
インタビューおよび取材をふまえて原稿をまとめる作業は、新聞記者としてやっていた仕事と基本的には同じです。
慣れているので、やりやすいのが利点です。
自分で本や資料を読んだだけで原稿を書くよりも、その分野、その地域の専門家に話を聞いたうえで原稿をまとめたほうが、確実に面白くなるという利点もあります。
自分自身が 「著者」になるのではなく、「インタビュー/取材担当者」として、裏方の立場で、本にかかわるようにしたのは、主だった出版社に送った企画書がボツにされた理由を、あれこれ考えたこととも深くかかわっています。
それがいちばんの理由かもしれません。
本の著者というやっかいな問題
書店を歩いていて、気になるタイトルがあると、手にとって、まず、目次に目をとおします。次に著者のプロフィールをみます。
目次は面白そうでも、著者プロフィールがあいまいだったりすると、疑念がわきます。
反対に本の内容にふさわしい学歴があり、キャリアがあると安心します。
本にとって著者のプロフィールはとても重要です。
自分がそうしようとは思いませんが、経歴を詐称してでも、プロフィールを飾ろうとする人の気持ちはよくわかります。
なぜ、あの企画書はボツになったのだろう?
あれこれ考えてみました。
豊臣秀吉にかんする本なのに、その著者(志望者?)が、その専門家とはいえない元新聞記者だったからではないか。
これが最もありそうな理由におもえました。
僕が新聞記者として担当した分野は、警察(事件・事故)、市役所、県庁、中央官庁、企業(ビジネス)などです。
歴史関係の記事を書く機会は何度もありましたが、文化部の「歴史専門記者」ではありません。
大学の学部も歴史系ではありません。
編集者さんだけではなく、立ち読みをする人も、著者略歴をみて、
「こいつ、素人なのでは?」
と不審な気持ちになるはずです。
そうです。
僕は歴史ライターとしては、アマチュアです。
独自説をかかげるアマチュア歴史研究者は、もっとも、編集者に煙たがられる存在かもしれません。
ボツになった理由の、有力なひとつであるはずです。
だから、桃山堂として出している本には、ニッチな分野だとしても、その道の専門家を「著者」としています。
そのほうが、本らしくなる気がしています。
でもこれは、紙の本を前提としての話です。
電子書籍では、「アマチュア研究者」として自分名義での本も出してみようとおもっています。
ネットや電子書籍では、良い意味での<アマチュアリズム>を追求することが、今後のテーマです。
紙の本ではできないこと、やりづらいことを、ネットや電子書籍で試してみようとおもっています。
(つづく)
大手出版社に送ってボツになった企画書は、この日のエントリーに掲載しています。
http://motamota.hatenablog.com/entry/2016/07/19/183015