ソニーリーダーの思い出
散歩コースにある近所の畑
キンドルがわが家に来た日
もし、あのとき、◯◯していなければ、いまごろ、◯◯だったかもしれない──。
そんなふうに自分の人生のパラレルワールドを空想することは、まったく生産的ではない時間の使い方の代表例です。
でも、もし、アマゾンがキンドルという電子書籍サービスをはじめていなければ、僕が小さな出版社のまねごとに、うつつを抜かすこともなかったのに、とおもってしまいます。
アマゾンの巧みな情報操作に、まんまと載せられて、洗脳され、善からぬ道に迷いこんでしまったのか…、そんな疑念もあります。
でも、背中をドンと押して、新たな一歩をはじめさせてくれたのだから、感謝すべきなのかもしれません。
いま検索してみたら、日本でのキンドルストアの開設は二〇一二年十月二十五日となっていますが、メールの記録をみると、僕の手元にキンドル・ペーパーホワイトが着いたのは十一月末でした。
けっこう早く予約したつもりでいたのですが、ストア開設から一か月も待たされていたことになります。
人気が過熱して、品薄だったのでしょうか。
忘れてしまいました。
あこがれの電子書籍端末キンドルは、本が送られてくるときと同じく、段ボールの箱に入れられ、ごく日常的な光景としてわが家に届きました。
あまりにも普通に届いたので軽く失望しました。
ファンファーレはともかく、リボンでも期待していたのでしょうか。
開封して、手にとっても、これという感慨はありませんでした。
最初に購入した作品も覚えていません。
正直にいえば、当初は作品数もすくなく、どうしても読みたい本はありませんでした。
キンドルをはじめて手にしたとき、感動がとぼしかったのは、そのときすでに、ソニーリーダー、楽天コボを購入して、電子書籍を体験済みだったからです。
専門的な知識はないので、ひとりのユーザーとしての感想でしかありませんが、三社の電子書籍端末は、似たり寄ったりに見えました。
どうしてソニーリーダーなんて買ったのだ、と言われそうですが…
すっかり放置されているわが家のソニーリーダー
どうしてソニーリーダーなんて買ったのだと言われそうですが、あの当時、日本陣営の電子書籍ビジネスとして、ソニーに対する期待はすごく高かったとおもいます。キンドルより一足早く、サービスをはじめたので、迷うことなく、買ってしまいました。
せいぜい、五年くらいまえのことなのに、ずいぶん昔のような気がします。
二〇一〇年ごろは、日経新聞やネット情報で、アマゾンキンドルに対抗して、ソニーがアメリカ、ヨーロッパで健闘している──という内容の記事をしばしば目にしました。
小説『薔薇の名前』で有名なイタリアの学者ウンベルト・エーコは『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』という対談本を出していますが、そのなかにこんなくだりがあります。ただし、対談相手の言葉です。
最新バージョンの電子書籍は、いまや印刷された本と互角に張りあえるレベルに達しているみたいですよ。「リーダー」というモデルはすでに一六〇タイトルという品揃えです。(日本語版25ページ)
「リーダー」はソニーの電子書籍端末をさしているとおもわれます。タイトル数は誤訳か誤植でしょうか。
ヨーロッパでの話ですが、原著が出た二〇〇九年の段階では、まだ、ソニーがアマゾンの対抗勢力となる可能性があったことがわかります。
残念ながら、ソニーはヨーロッパ、アメリカでの電子書籍ビジネスから撤退し、国内でもアマゾンの独走を防ぐことはできていません。
いま、僕が電子書籍の閲覧につかっているのは、キンドルファイア(タブレット型)とスマホのキンドルアプリです。
端末として気に入っているからではなく、本屋さんとしてのアマゾンをよく利用しているので、結果的に、電子書籍もそこで買ってしまうことになるからです。
ジュンク堂系といいますか大日本印刷グループのhontoをはじめ、国内勢の電子書籍ストアはいろいろありますが、個人の出版者がつくったマニアックな電子書籍は置いていないし、古本も並んでいません。
愛国心は人並み以上にあるつもりですが、どうしても、アマゾンの魅力には勝てません。
自分で利用していないのでこんなことを言う資格もないのですが、電子書籍の日本勢には、ほんとうにがんばって欲しいとおもいます。
アマゾンが外資だからというわけではありませんが、独占の弊害は大きいとおもいます。
楽天コボは、日本人のお父さんとカナダ人のお母さんのハーフのような印象ですが、やはりがんばって欲しいです。
でも、あまり利用していません。ごめんなさい。