羽犬伝説の筑後地方(福岡県南部)で、火山が激しく活動していたころ
私が個人営業している桃山堂という零細出版社は、このブログでメインテーマとしている秀吉伝説のほか、『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』という火山神話の本も出しています。
どうして、秀吉と火山なのだ、あまりにも支離滅裂ではないかと糾弾されることも多いので、その言い訳めいた話です。
阿蘇中岳火口から立ちのぼる噴煙。(2016年3月撮影)
羽犬のふるさと「筑後」とは何か
羽犬伝説のある福岡県筑後市は、福岡県といっても博多のある福岡市よりずっと南の熊本よりです。
福岡市などのある福岡北部を筑前というのに対し、筑後市とか八女市とか久留米市は筑後と呼ばれています。
気質とか言葉も微妙に違います。
関東、関西の人に、それを説明するのは困難ですが、乱暴に言ってしまえば、博多のある福岡市が東京二十三区だとすると、筑後地方は多摩地区です。
かえって話がこんがらがりそうですが、同じ福岡県でも、田舎的な性格がより濃厚である──ということです。
私の先祖が代々、暮らしていた福岡県八女市黒木町は、筑後地方のなかでも、さらに熊本との県境に近いところです。
9万年まえ、阿蘇が何万年に一度という規模のすさまじい巨大噴火をしたとき、火砕流が県境の山を越えて、八女市にも到達しています。
八女市岩戸山歴史資料館に掲載されていたパネルです。
岩戸山古墳、石人山古墳のあるあたりが筑後エリアで、このあたりまで火砕流(ピンク色)が流れてきています。
火砕流とは、大規模な噴火のときに生じる現象ですが、火山ガス、火山灰などによる気体と固体の混合した流動体です。
もともとはマグマですから、火砕流は冷えて固まると固体になります。岩状にがっちり固まると、溶結凝灰岩と命名されます。
固まり方がゆるいと、鹿児島のシラス台地のような土地になります。こちらは岩ではなく、土です。
阿蘇カルデラ噴火でできた石は、今でも商売に使われている
八女市に到達した火砕流は溶結凝灰岩となり、「八女石」と呼ばれる有用な石材となっています。
加工しやすく、見た目もいいので市場性の高い石なのだそうです。
江戸時代には、石橋の材料にもなっています。
石灯籠などの材料となり、八女市の郷土産品のひとつです。
阿蘇噴火に由来するこの石は、古代から加工に適した石として知られていたようで、八女古墳群には、「石人」と称される石の守護像が置かれています。
埴輪のかわりのようなものです。
これは、八女古墳群では最大の岩戸山古墳にあった「石人」です。
六世紀、継体天皇のときのヤマト政権と敵対して、戦いに敗れた筑紫君磐井を葬った前方後円墳だとかんがえられています。
羽犬の墓が、阿蘇噴火に由来する「八女石」かどうかは未確認です。
こじつけめいた話になってしまいましたが、羽犬伝説の筑後地方は、阿蘇文化圏の一角にあったことはご理解いただけたのではないでしょうか。
福岡県南部における、200万年まえの火山活動
私の先祖代々が暮らしていた黒木町は、もともと独立した自治体でした。その隣村を矢部村といいましたが、いまは双方とも合併により八女市の一部となっています。
矢部村には、200年ほどまえ、激しい火山活動があり、筑紫溶岩、日向神溶岩と呼ばれる火山岩としてものの本にその名をみます。
火山について、本格的に調べはじめたのはこの三年くらいですから、先祖の地がそのような恐るべき火山地帯にあるとは知りませんでした。
あまりに山間地の田舎すぎて、メジャーな観光地にはなれないのですが、矢部村には日向神渓という渓谷美をアピールするエリアがあって、もう四〇年以上まえの小学校のころ、何度か連れて行かれたことがあります。
「ひゅうがみダムに行く」という音として記憶していました。
日向神ダムです。
漢字でみると、にわかに妄想力のスイッチが入ります。
風景の記憶はほとんど残っていないのですが、いま、ネット検索してみてみると、典型的な火山的風景です。
矢部村にも、金山があって、近現代においては、大分県からつづいている鯛生金山の一部として知られています。
鯛生金山は一時期、産出量で日本一になっていた時期があります。
過去の累計による総産出量では、第五位です。
相当に規模の大きな金の集積が、この地にあったことは歴然とした事実です。
わが先祖の地である黒木町に隣接する星野村、矢部村には、大正、昭和時代までつづいていた金山の歴史があって、華麗なるゴールドに彩られているのですが、残念ながら、わが黒木町ではまとまった金は採れなかったようです。
鯛生金山の跡地。
ともかくも、このあたりは、日本でも有数の金山があったところであり、それは200万年ほどまえの火山活動により形成された金鉱床なのだとおもいます。
そうした金をもとめて、渡来人だとか、後醍醐天皇の皇子だとか、星野氏、五條氏などの武士団だとか、前の回にとりあげた徐福だとか、虚実おりまぜて、さまざまな人たちが行き交った痕跡があります。
そうした史実と幻想の土壌から、秀吉と羽犬の伝説が生じているのでないか──。その視点から、『秀吉と翼の犬の伝説』という電子書籍をつくり、こんなブログを書き連ねているのですが、先祖代々が暮らした土地への過大評価と、それにもとづく私自身の誇大妄想である可能性は否定できません。
まとまりのない文章になってしまいましたが、同じ福岡県のなかでも、筑前とは違って、筑後地方においては火山的な地質が濃厚であることはご理解いただけたのではないでしょうか。
それは、否定できない地質学的な事実です。