桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

6年まえの3月11日、国立国会図書館の机の下でいろいろ考えたこと

二〇一一年三月十一日午後二時四十六分、あの地震が起きたとき、私は東京・永田町にある国立国会図書館で、ちまちまとした調べものをしていました。文春新書『火山で読み解く古事記の謎』を書くことになったそもそもの発端は、あの地震にあるのですから、きょうはそのことを書いてみます。

 

二〇一一年当時の私の状況はというと、桃山堂という会社を設立したものの、一冊の本もまだ出しておらず、いくつかの企画を同時に進めていたときでした。

 

国立国会図書館でしか見ることのできない本や史料が多く、そのころは週に二回くらい行くこともありました。

そのころ、日常生活における大半の時間は、仕事場にしている自宅のパソコンのまえにいるか、国立国会図書館で資料を見ているかでしたから、大震災が起きたとき、その二つのうちのひとつ、国立国会図書館にいたということです。

 

地震が起きた瞬間、床が波打つような、経験したことのない激しい揺れだったので、これは首都直下型の巨大地震で、このまま死ぬのかなとおもいました。

古今東西の名著、珍著とともに、国立国会図書館で死ぬのは悪くはない気もしましたが、小さな出版社を立ち上げたものの、一冊の本もまだ出しておらず、いくつかの企画を同時に進めていたときでしたので、そのことについては少し残念だなともおもいました。

ほとんどの人がテーブルの下に身を隠したあと、

「当図書館は貴重な文献や資料を保存するため、きわめて強固な構造になっています。安心して館内で待機してください」

という放送が流れたのですが、その声はかすかに震えており、かえって不安な気持ちが募りました。

 

もし、あの大震災のとき、国立国会図書館ではなく、自宅のパソコンのまえにいたらと考えます。

まず、テレビで地震の状況を知り、次いでパソコンで詳細を調べたはずです。

そうすると、あの日の記憶はテレビの映像にまつわるものであったはずです。

 

ところが、たまたま、確率的には小さいはずの国立国会図書館にいたことによって、私自身の三月十一日の記憶に、テレビ映像の要素はまったくありません。

 

そのころはまだスマホではなくガラケーでしたから、電話経由の画像情報もなく、激しい余震が来るたびに、机の下にもぐることを繰り返しつつ、図書館で待機するという時間がつづきました。

ときおり流れる館内放送が、最大の情報源でした。

 

今かんがえると、国立国会図書館の六階の食堂に行けばテレビを見ることができたのではないかと思うのですが、思考停止していたのか、そうしませんでした。

それとも、そうできない事情があったのでしょうか。

 

余震はおさまったものの、地下鉄が復旧する見込みはないことがわかり、午後四時半ごろ、自宅のある練馬を目指して歩き始めました。

六時間くらい、かかったとおもいます。

 

だから、六年まえの三月十一日にまつわる私の記憶は、国立国会図書館の机の下に隠れていたことと、自宅をめざして多くの人たちとともに巡礼のように黙々と歩き続けたことだけです。

 

いくつかの偶然が重なった結果として、『火山で読み解く古事記の謎』という本を出すことになったのですが、あの日、自宅ではなく、国立国会図書館にいたという偶然も、そのひとつだとおもいます。

 

図書館から自宅まで六時間をかけて歩いたことによって、あの地震の記憶が肉体化しているというか、ものすごく鮮明な記憶がのこっています。

 

 あの大震災を体験するまで、日本列島が地震と火山に宿命づけられ、その歴史や精神文化が地質的な条件と深く結びついているのではないだろうかということなど考えたことはありませんでした。

だから、『火山で読み解く古事記の謎』という本の企画がスタートしたのは、二〇一一年三月十一日、国立国会図書館のテーブルの下であったといえます。