桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

アマテラス・火山・原子力

東日本大震災の直後に書いた古いメモを見ていたら、「アマテラス・火山・原子力」という文字列がありました。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』みたいです。というかパクリ。

実現することのなかったボツ企画ではありますが、桃山堂から刊行した『火山と日本の神話』、私の個人名義で出版する『火山で読み解く古事記の謎』の元ネタのようなものなので、自己の活動記録のためにも、本日はこの幻の企画について書いてみます。

 

アマテラスの警告

二〇一一年三月東日本大震災のあと、「ひとり編集会議」をした記録として、書いたメモだとおもわれます。

自分が書いたメモを引用マークで囲むのも変な気がしますが、書いた記憶も乏しいメモですから、半ば他人の文章です。なぜか、本の帯につけるコピーのような文章まで書いています。 

「アマテラス・火山・原子力

世界を闇につつむ巨大な噴火はかならず来る。
アマテラスは警告する。
忘れてはいけないと。

 

 次のメモは、本のタイトル案とサブタイトルだとおもわれます。

 

アマテラスの警告    火山の国の遙かな記憶

アマテラスの警告    巨大噴火をめぐる神話的記憶

アマテラスの警告    火山列島の十万年と原子力発電の十万年

 

 

自分のメモを解説するのも変な話ですが、「アマテラスの警告」というタイトルで何を言わんとしているかというと、巨大な火山噴火が起きると原子力発電所が危ないという話です。

具体的にいうと、鹿児島県川内原発の安全性をめぐる議論があり、訴訟にもなっているのですが、そこで火山の巨大噴火にともなう危険性がポイントのひとつとなっています。

姶良カルデラ」というと馴染みが薄いかもしれませんが、簡単にいうと、桜島あたりで生じた巨大噴火が議論の対象であり、三万年まえの噴火と同じクラスの噴火が起きた場合、川内原発の安全性は確保できるのかという議論です。

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桜島姶良カルデラの巨大噴火のあと、カルデラの南縁部に出現した火山。鹿児島湾そのものがカルデラの外輪山と重なっている。

 

私は九州出身なので、川内原発のニュースは気になるのですが、東京の新聞、テレビでは地味なローカルニュースという扱いです。

 

鹿児島県議会ではたいへんな問題になっているのですが、国会レベルではそれほど大きな議論になることなく、やりすごされています。

 

上記の企画メモは、アマテラスを担ぎ出して、九州(あるいは日本列島)における原子力発電の危険性を訴えることはできないか──ということだったのだと思います。

思います、などと他人事のようですが、六年前のことなので、自分のメモながら推測まじりです。

 

アマテラスの神話は巨大噴火に由来するという説

 

どうして、東日本大震災の直後のメモにうわごとのように、アマテラス、アマテラス、アマテラスと書き連ねているのかというと、アマテラスが岩屋に隠れて永遠の夜がつづくという「岩戸神話」が、巨大な火山噴火の噴煙によって太陽が隠されたことを物語化したものだという話を聞いたことがあったからです。

 

私自身は政治的な主義主張とは無縁の人間ですが、日本列島しかも九州のような火山集積地に原発が存在することには強い疑問を感じています。

 

東日本大震災の直後の異様に社会的緊張のなかで、それが顕在化して、このようなメモがのこったのだとおもいます。

 

でも、『アマテラス・火山・原子力』、『アマテラスの警告』は本の形となることはなく、私のパソコンのなかにボツ企画として埋もれてしまいました。

 

その理由はいくつかあります。

いちばんの理由は、原子力発電をめぐる人間世界の論争に、神さまを引っぱり出すことは、良くないことではないかという気持ちに傾いたからです。

 

その後、紆余曲折があり、このボツ企画の延長のような、そうではないような微妙なところですが、『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』という本を、二〇一六年二月、桃山堂から刊行しました。

 

その続編的な性格もあるのですが、文春新書として刊行される『火山で読み解く古事記の謎』がようやく完成し、落ち着いて読み返してみると、ボツ企画の痕跡のようなものが残っていました。

もっとも、「アマテラスの警告」というような力強いものではありません。

アマテラスは、聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で、「だいじょうぶ?」とささやいているだけです。