桃山堂ブログ

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電子書籍の長さについて ── 文藝春秋社・電子書籍編集部、『アメリカの壁』の事例

文春新書『火山で読み解く古事記の謎』の刊行と同時に、電子版も発売されたということは先日、申し上げたとおりですが、文藝春秋社・電子書籍編集部の方々とはメールのやりとりがあっただけでした。

先日、打ち合わせを兼ねて、電子書籍編集部の吉永龍太部長ほかの皆さまとお話をする機会があったので、面白いとおもったことをいくつか報告します。

 

アメリカの壁 小松左京e-booksセレクション【文春e-Books】

電子書籍のプロモーション

個人運営の小さな出版社を営む立場としての私は、昨年来、電子書籍の制作にかかりっきりで、このブログはその過程を報告することを目的に「電子書籍モタモタ実験工房」というタイトルでスタートしました。

 

という次第で、電子書籍については、〝商売〟的な関心があるのですが、興味があることのひとつは、文藝春秋社がどのようなプロモーションをしているのかということでした。

 

とくに著者・作者の立場で行うネット上のプロモーションの成功事例があれば、それをまねして、このブログで報告するのも面白いのではないかとおもっていたのですが、これについては、

電子書籍だからといって、紙の本とは違ったプロモーションがあるわけではありません」

という回答でした。

 

世の中の流れを見て、メディアがとりあげてくれそうなプレスリリースを出して、うまく話題を広げてゆけば、電子書籍だけの作品であっても売上を伸ばす──ということのようです。

 

電子書籍はインターネット関連のビジネスという側面もありますが、閲覧者数や訪問回数を競うウェブサイト、ブログの世界とは違った要素が多いのも事実。

 

電子書籍は、あくまでも「本」であることを再認識しました。

 

『アメリカの壁』についてのケーススタディ

最近の成功事例として、たとえばという話で、吉永部長から、紹介していただいたのが『アメリカの壁』という作品です。

 

『アメリカの壁』は、SF作家、小松左京氏が四十年まえに書いた短編小説です。

「輝けるアメリカ」をスローガンにかかげて当選したモンロー大統領は国際社会への関与に消極的な孤立主義者ですが、その就任三年目、突如、出現した「壁」によって、アメリカは外の世界との通信、交通がいっさい遮断されてしまいます。

 

トランプ大統領による〝Make America Great Again〟のスローガン、そして「壁」。

現実世界と四十年まえのSF作品がシンクロしたような状況がネット上でも話題になっていることを、文藝春秋社の編集部が知り、この作品だけを電子書籍として刊行することになったそうです。

 

「刊行を決めて、三日後には発売していた」というので、このあたりのスピード感が電子書籍のメリットだとおもいます。

 

発売日の二月九日に出されたプレスリリースの冒頭、以下のような文面があります。

 

SF界の巨匠・小松左京はアメリカが「壁」に

囲まれるのを予言していた?

注目の小説『アメリカの壁』を電子書籍で緊急発売!

 

リリースを出した当日付けの毎日新聞の夕刊社会面にさっそく記事が出ており、三月六日には読売新聞の朝刊コラム「編集手帳」でも紹介されています。

ネット上での話題も広がり、順調に売上を伸ばしているそうです。

 

この話で私が面白いとおもったのは、すでに、『アメリカの壁』という同じタイトルで、全六話の短編集の電子版が売られていることです。

(文庫本三百二十八ページの紙の本のほうは在庫切れ状態)

 

全六話の短編集としての『アメリカの壁』は五百円、「アメリカの壁」を一作だけで電子書籍としたほうは二百円。

 

価格は安くなりますが、一作だけで電子書籍として刊行することによって、「緊急発売」というプレスリリースを打つことができ、話題をつくることに成功したといえます。

 

小松左京というビッグネームで、文藝春秋社の電子書籍だから成功したといってしまえばそれまでですが、この成功事例については、私のような超零細出版社や個人のパブリッシャーにとっても、考えるべきテーマがいくつかあるとおもいます。

 

ひつつは、電子書籍の長さという問題です。

 

現在、刊行されている電子書籍の大半は、紙の書籍を電子化したものですから、十万字以上(紙の本で二百ページ以上)の比較的長い作品です。

 

紙の本の場合、二百ページくらいの厚さがないと、本らしくならないという程度の理由で、無理して膨らませるケースがないとは言えないのですが、電子書籍については、そうした制約はありません。

 

電子書籍の長さはどれくらいが望ましいか、という議論はいろいろあるようですが、短編小説の一作分、紙の本でいえば四十から五十ページというのはひとつの目安である気がします。

文字数換算では、二万字前後といったところ。

微妙な案配ですが、短すぎず、長すぎず、ということです。

 

 「アメリカの壁」は文庫本六十ページなので、短編小説としてはやや長めですが、この作品を電子書籍端末で読んでみて、緊張感をもって一気に読み終えるのにちょうどいい長さだと感じました。

 

電子書籍編集部長の吉永氏によると、アマゾンをはじめとする電子書籍ストアの担当者から、しばしば言われることは、「もっと、短い作品が欲しい」ということだそうです。

「アメリカの壁」だけで電子書籍として刊行した背景には、そういうストア側からの要望もあったようです。

 

教訓と感想

まずは、弱小出版社の運営者としての教訓と感想です。

 

電子書籍という「本」が、ジャーナリズム的な手法とは違ったアングルから、政治的なニュースに連動している現象が面白いとおもいました。  

 

旧作品の再紹介という手法は、歴史ある出版社しかできないかもしれませんが、ほかにも切り口はあるとおもいます。

 

このくらいの長さでシャープな内容を盛り込むことができれば、弱小版元や個人パブリッシャーにもチャンスはあるのではないか。

そんな感想をもちました。

 

自分でも、何かできないだろうかと考えています。

そのお手本としての価値も、『アメリカの壁』にはあるとおもいます。

 

 

二百円の電子書籍『アメリカの壁』を、アマゾンのキンドルストアから購入した消費者の立場としては、とても面白く読ませてもらい、満足しています。

 

「壁」の出現について、SF的謎解きは、作品の末尾で明らかにされており、私のような年代の読者はノスタルジーを禁じ得ないはずですが、この作品の場合、SFとしての趣向よりも、アメリカという国の心性そのものがメインテーマだとおもいます。

 

この作品には興味深い文章が多々あるのですが、たとえば、作中人物のアメリカ人から発せられた以下のようなセリフがあります。

 

〝外の世界〟はあまりに長い間、アメリカにぶらさがりすぎた。アメリカに言わせれば、あまりに長い間、むしられすぎた。いくら巨大な鯨でも、これだけいろんな連中にむしられりゃ……

  

〝外の世界〟が暗示しているのは、言うまでもなく日本。

 確かに四十年まえの作品とはおもえない、今日的なテーマです。