いわゆる「内輪ぼめ」ですが、『火山で読み解く古事記の謎』、書評の紹介
大学時代の友人が、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』の書評をウェブサイトに掲載してくれました。まあ、はっきり言って、典型的な「内輪ぼめ」です。書評のほうは割り引いて読んでいただく必要がありそうですが、ユニークなサイトなのでそちらの紹介も兼ねて、話題とさせてもらいます。
古事記は縄文火山の記憶の書でもあるという面白い本が出た: 趣味的偏屈アート雑誌風同人誌
「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」というサイト名がすでに変わっています。
匿名の複数メンバーによって運営しているサイトのようですが、友人のほかのメンバーについては何も知りません。
書評を書いてくれた友人は、五〇代、男性。
ある筋では有名人です。
若いころに書いた本が高く評価され、文庫本的に復刊されて流通しています。
私の百倍は本を読んでいるとおもいます。あるいは、もっとかもしれません。
その友人が、『火山で読み解く古事記の謎』をこのように紹介してくれました。
読み始めてすぐ気づいたのは、読書感が、自然科学館やプラネタリウムで上手な解説者に案内されながら展示を見るのに似ていること。
それも、そこいらのじゃなく、ニューヨークのアメリカ自然史博物館のプラネタリウムとかだ。すごく作りがよくて、見ているうちに感動で泣いちゃうやつ!
蒲池さん自身は「数学がまったくダメでしたから」と書いておられるが、なんの、科学的な発想と論理こそが、この本のテーマを面白く読ませているツボだ。
躍動的で繊細な、なんとみごとな「ほめ言葉」なのでしょう!
私が偶然、このネット書評を読んでしまったら、衝動的に、アマゾンに注文をしてしまいそうです。
繰り返しますが、この記事はいわゆる「内輪ぼめ」です。眉にはたっぷり唾をつけてください。
「内輪ぼめ」など、けしてほめられた行為ではないのかもしれませんが、美点があるとしたら、当然のことですが、お互いを知っているということです。
この書評記事も、思い切って、ほめあげた上で、
「こんなこと書いているけど、どうなの?」
みたいな、問いかけというか、謎かけというか、難しいボールを投げ返しています。
神々の物語は火山の物語である、という説がもし一片なりと正しさを持つならば、それは確かに天皇の問題に結びついている。(中略)
もちろんこれは「国家神道」に結びつくから、公然と議論はできないことになっている。前段も、わたしの想像の域を出ない。
ただ、八百万の神とは、万物に神が宿るということより、人がそれぞれに固有の守護神を持っているということではないか。その助けを借り、自然災害だらけの島で生きのびて、たび重なる天変地異ゆえにもたらされもする、自然の「恵み」をしたたかに得ていこうとする「信仰」の形ではないだろうか。
その「ひとそれぞれの神々」への「呼びかけ」が、天皇の、重要ではあるが単なる、機能であるはずだ。
文藝春秋社の担当編集者さんが、「このネット書評を書いた人、いったい、何者ですか?」と驚愕していましたが、たしかに書く技術もその背景にみえる教養もただ者ではない感じです。
「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」は、そうした謎の知識人集団によるウェブサイトなので、口コミ的に人気がでて、一日、何百人単位でサイトを訪問する人がいるそうです。
ネットの売れ筋とは真逆の硬い内容の長い記事で、ビジュアル的な演出も、ネット的な集客の気配もないのに、よくそんなに人が集まるものだ──と感心してしまうのは、私がやっているこの「桃山堂ブログ」がずっと低空飛行をつづけているからでもあるわけですが……。
「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」のレベルと方向性がうかがえる記事があります。
執筆者は私の友人とは別のメンバーで、どのような方かまったく存じ上げないのですが、なにかの分野のプロなのだろうとおもいます。
ケネス・バーク(Kenneth Burke)、異端のすすめ: 趣味的偏屈アート雑誌風同人誌
教養のなさを露呈するようですが、私はケネス・バークという人を知りませんでした。
でも、この記事を読んで、ケネス・バークという人が半世紀以上も前に提示した論点が、より鮮明になっているということは理解できました。
このような読書的な学び/発見が、本や雑誌や新聞ではなく、インターネット上の文字によってもたらされる機会が、最近、とみに増えています。
単にネットを見ている時間が増えただけかもしれませんが、そうとばかりは言えないはずです。
日本語によるインターネット世界は、さまざまな愚行が散見される一方で、想像もできないような<豊かさ>を持ちはじめているのではないか──そんな楽観論に一票を投じたい気持ちに傾きつつあります。
「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」も、そうした直感に結びつくデータのひとつです。
「内輪ぼめ」の返礼だと思われそうですが、百聞は一見にしかず、「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」で気になる記事を読んでみてください。
どの記事にも一種の緊張感があるのは歴然としています。
ヘタな記事を書いたら許さんぞ──、そうした同人誌的な暗黙の了解があるのかもしれません。
安易な書き方に流れがちな「桃山堂ブログ」の執筆者としては、これもまた、反省です。