桃山堂ブログ

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桃山堂刊『火山と日本の神話』の電子書籍について

 昨年(二〇一六年)二月に桃山堂から刊行した『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』の電子書籍化は諸々の事情ですっかり、遅くなってしまいました。今回は、『火山と日本の神話』の電子版について紹介したいとおもいます。

 

火山と日本の神話 亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論

火山と日本の神話 亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論

 

 

刊行を送らせたコバンザメ精神

昨年二月に『火山と日本の神話』を出したあと、かねてより準備をすすめていた電子書籍のプランを実現に移すべく、本格的な作業に着手しました。

 

電子書籍の<作り方>みたいな基本的なことを学びつつの準備でしたので、モタモタしてしまったのですが、昨年十二月には、「秀吉伝説集成」というタイトルで、五作を同時刊行しました。

 

秀吉伝説集成1 秀吉と翼の犬の伝説

秀吉伝説集成1 秀吉と翼の犬の伝説

 

 

 

 『秀吉と翼の犬の伝説』は私が書いた作品ですが、『尾張中村日の宮伝説』は名古屋の郷土史家、横地清さんの論考です。

 取材、執筆、編集から、電子書籍のEPUB作成まで、私がひとりでやっている家内制手工業です。

 

 電子書籍の制作に没頭していた昨年十月、『火山と日本の神話』を読んでくれた文藝春秋社の編集者とのあいだで、この本のテーマを広げて、よりわかりやすい本にできないかという話をはじめています。

 

本来の計画であれば、「秀吉伝説集成」のすぐあとに、『火山と日本の神話』の電子書籍版を出すつもりでした。

しかし、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』を今年二〇一七年三月に出すことになったので、その刊行にあわせたほうがいいだろうと思って、ほぼ同時期の発売になりました。

 

便乗商法といいますか、コバンザメ精神といいますか、セコい商売っ気もあるのですが、それとともに、『火山で読み解く古事記の謎』の執筆のために、さらに取材や資料収集をすすめたので、新しいデータをもとに『火山と日本の神話』をブラッシュアップして、紙の本とは少し違った内容にできないかということも考えていたからです。

 

紙の本と電子書籍の本文テキストは違ってもいいのか?

結果的にいえば、原稿については、誤字脱字誤植を修正する程度の小幅な変更にとどめました。

同じタイトルの紙の本、電子書籍で、本文の内容が違うのは望ましくないのではないかと判断したからです。

 

ただ、これについては、まだ迷っていて、紙の本と電子書籍は、同じタイトルであっても、本文テキストが違っていてもいいのではないかという気持ちも一方にあります。

 

単純な話として、スマホで読む人が大半を占める電子書籍と紙の本の文章スタイルが同じでいいはずがない──という疑問があります。

そうであるなら、同じタイトル、同じ内容の本であっても、電子書籍でのリーディングに最適化した文章スタイルによる別バージョンが望ましいはずです。

でも、コスト、手間ひまを考えると、相当、困難であることははっきりしています。

 

考えだすと、あれこれ疑問や課題が浮かんでくるので、日を改めて考えてみます。

 

 

あと、写真については、新しく撮影した写真をふくめて、枚数を増やして充実させています。

コストを気にせず、カラーの写真をつかえるのは電子書籍の大きなメリットなので、それをいかすためです。

 

それと、私が執筆する編者による「あとがき」を一部、書きかえました。

以下のような内容です。

 

電子版のためのあとがき 

桃山堂 蒲池明弘

 

二〇一六年二月、『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』を紙の本として出版したあと、いくつかの新聞、雑誌に書評や紹介記事を掲載していただきました。

 

「ユーラシアからアジアへと連なる観念の地勢図」(図書新聞)、

「私たちが足元の大地を学際的に捉えるヒントを与えてくれる本」(島根県の地方新聞・山陰中央新報)、

「火山活動は実は、古くから日本人の精神に大きな影響を及ぼしてきた」(日本経済新聞

など、さまざまな切り口から好意的に論評していただきました。

 

意外な反響は、この本を読んでくれた文藝春秋社の編集者から、このテーマを展開して、火山と古事記ルポルタージュのような作品を書けないかという誘いをうけたことです。『火山と日本の神話』の編集をとおして知ったデータや取材の過程でかんがえたことなどをもとにして、一冊の本にまとめました。文春新書の一冊として、二〇一七年三月に刊行された『火山で読み解く古事記の謎』です。

 

古事記神話に火山の記憶を見る人はまだまだ少数派だとおもいます。そうしたなか、ワノフスキーの古事記論への共感が少しずつではありますが、広がりつつあるという手ごたえを感じているところです。