桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

「学芸員はがん」? 新聞社、出版社、あらゆる物書きには心強い存在

本をつくる仕事をしていると、博物館などに勤務する学芸員に問い合わせることがしばしばあります。大半は面識のない人です。

素人じみた当方の質問、疑問に対し、いつも的確な返答をいただき、たいへん助かっているので、「学芸員はがん」という山本幸三・地方創生担当相の発言には強い違和感を覚えます。

個人営業の超零細出版社の視点から、この問題を考えてみます。

www.huffingtonpost.jp

 

学芸員は大学の研究者と並ぶ専門家集団

報道によると、山本大臣は「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と述べたそうですが、批判をうけ、一応、撤回しています。

 

博物館、美術館に勤務する学芸員の仕事はさまざまですが、それぞれの担当分野の専門家であることが必須条件であり、調査・研究が職務の基本であるとされます。(実際は、雑務が多くて、研究職の実態は乏しいという話も聞きます) 

 

学芸員は国家資格のひとつなので通信教育で勉強して資格をとることは可能でしょうが、資格保持者のうち、実際に学芸員のポストにつくことができる人は一パーセントというデータもあります。非常に狭き門です。

博士号をもっている学芸員は少なくないし、古代史の研究者である◯◯教授、美術評論で有名な◯◯教授も、若いころは博物館、美術館の学芸員でした。

 

日本の社会を俯瞰すれば、学芸員という存在は、大学の研究者に次ぐ、学術的な世界の専門家集団といっていいとおもいます。

でも、その歴史は比較的浅く、社会的な認知を十分には得られていないのではないでしょうか。

 

  私が新入りの新聞記者として、美術館、博物館をうろうろして、学芸員さんたちから話を聞いていたのは、三十年くらいまえですが、当時からすると、日本の学芸員さんの世界は格段にレベルアップしています。

県立の博物館、美術館くらいにしか学芸員はいなかった時代は、そう昔のことではありません。

 

だから、山本大臣は、こう言えば良かったのです。

 

「今や日本の各地に専門知識をもった学芸員さんが勤務する博物館、美術館があり、欧米先進国に引けを取らないレベルに達しています。

しかし一方で、人口減少などによって、地方の博物館、美術館で経営的に厳しいところが増えているのも事実。

したがって、私ども政治家の立場から学芸員の方々に提案したいのは、どのように地域の情報を発信していけば、地域社会の盛り上がりに結びつくか──地元の人たちといっしょに知恵をしぼってほしいということです」

 

大臣発言を好意的に翻訳(意訳?)すれば、こんなところだとおもうのですが、どうでしょうか。

 

本やネットで調べてもわからないと、学芸員に頼ってしまう悪いクセ

ところで、私自身の博物館、美術館との接点は、見学者としての訪問のほか、<取材先>としてのかかわりでした。

 

博物館、美術館の学芸員は、資料を収集・整理して、展示するというだけではなく、新聞社、出版社、アマチュアの研究者、物好きな旅行者など、各方面からの問い合わせや情報提供の依頼に対応するという仕事があります。

 

電話で問い合わせると、だいたい、学芸員さんのところにつながれます。

 

学芸員の業務としては、本業からはずれた、その他もろもろのひとつだと思いますが、そのわりに時間もかかるし面倒なはずです。

 

私はまさに迷惑をかけている一人です。

今は本の作り手として、かつては新聞記者として、さまからさまざまな知識と情報を提供していただきました。

 

図書館で本や論文にあたり、インターネットで調べても、解消されない疑問はかならず残ります。

私もそうですが、大学や学会などの組織に属さずものを書く個人にとって、そうした疑問に答えてくれる学芸員は非常に心強い存在です。

プロ/アマを問わず、いえることだと思います。

 

宣伝になってしまうので恐縮ですが、といいますか、このブログそのものが半ば宣伝なのですが、私が個人営業する出版社から、『火山と日本の神話』という本を出したときは、島根県の博物館の学芸員さんにレクチャーしてもらいました。

提供していただいた資料をふくめて、その学芸員さんをとおして、出雲エリアの地質学的歴史を学び、それを本のなかに反映させています。

 

三月に文藝春秋社から新書として刊行された『火山で読み解く古事記の謎』を書いたときにも、各地の博物館に問い合わせを繰り返しています。

 

 八ヶ岳気象庁によって指定されている活火山のひとつですが、最後の大きな噴火は縄文時代のはじめのほうで、弥生時代から現在に至るまでおとなしくしているので、火山としての八ヶ岳についての資料はあまりありません。

八ヶ岳総合博物館に問い合わせをして、縄文時代に生じた最後の噴火についての概要を知ることができました。

本のうえでは十行足らずの記述ですが、質問に答えてくれる窓口があるのは、とても心強いことです。

 

鹿児島の開聞岳火山については、指宿市考古博物館に問い合わせました。

必要なデータと必読の学術論文を教えてもらいました。

 

ほかにも問い合わせの事例はいくつもあります。 

 本を書くための取材だというと、企画書を出してほしいとか、上司の許諾がいるとか、話が複雑になることもあるので、「物好きな観光客」のふりをして、学芸員さんに質問をさせてもらったケースもあります。

 

悪気はないのですが、締め切りが迫った中での確認作業でした。 

その際はたいへん失礼しました。この場を借りて、お礼を申し上げ、ご無礼を陳謝します。

 

山本大臣が言うように、全国の学芸員が一掃されてしまったら、私のような超零細出版社/個人のもの書きは、お手上げです。

 

その分野の専門家である大学の研究者に問い合わせることができればいいのでしょうが、大学に問い合わせの電話をして、はい、はい、わかりました、と取り次いでくれることはまず、ありません。

 

博物館は社会に開かれた組織ということもあるのか、びっくりするくらい敷居が低く、簡単に担当の学芸員の席に電話がつながります。

その結果、さまざまな雑務が学芸員のもとに、積み上がっていくのだと想像されます。

 

学芸員は若手新聞記者の<教育者>でもあること

私がY新聞に入社したばかりの若手記者の時代には、美術館の学芸員さんの話を聞いて、その受け売りで記事をこしらえていました。

 

A新聞とかY新聞のような全国紙でも、美術専門の記者なんて一人か二人しかいません。

だから、新聞に出ているほとんどの展覧会記事は、ふだん警察まわり、県庁・市役所まわりをしている記者が書くのですが、大半はピカソとダリの区別もあやしいくらいです。

 

科学や歴史・考古学についてもまったく同様です。

新聞社の地方支局に、科学や歴史の専門家記者がそろっているはずがありませんし、デスクがそうした教養をもっているケースは皆無に近いといえます。

 

科学や歴史にまつわる博物館記事がもっともらしい内容になっているとしたら、その裏には、学芸員の周到な指南があると考えられます。

 

私の限られた経験からの感想ですが、地方社会では、博物館、美術館の親切な学芸員が、若手新聞記者の<教育者>という役割も持っていることがあります。

生半可な耳学問であるとしても、優秀な学芸員によって、プチ専門記者ができあがります。

成り行きというか、行きがかり上というしかありませんが、これはこれで面倒な仕事です。

 

 全国各地の博物館、美術館に専門知識をもった学芸員がいて、新聞社、出版社、今なら、さまざまなネットメディア(個人をふくめて)からの問い合わせに対応しています。

それによって、記事や本のレベルが支えられています。

 

その記事や本をみた読者が、その分野に対する関心を高め、博物館に足を運び、それによって何かの閃きを得るというケースはきっとあるはずです。

 

美辞麗句にすぎるかもしれませんが、そこには、<知識の循環>のようなものが見えます。学芸員の蓄積した知識が、その循環を促していることは言うまでもありません。

 

 近年は個人のウェブサイト/ブログであっても、専門的な内容のものが増えており、当然ながら、そうした個人からの問い合わせは少なくないはずです。 

 関心の方向性も知識レベルもわからない人からの問い合わせへの対応なのですから、想像するだけで、その面倒さがわかります。

 

新聞記事、本、ウェブサイト/ブログ。

あらゆる領域の日本語表現は、全国各地の学芸員からの専門知識の提供によって、その知的な水準が維持され、すこしずつであるとしても、引き上げられています。

 

学芸員の本業ではないでしょうが、そうした一面があることを、偉い政治家の人たちにも知っていただきたいとおもいます。