丹生の地名と朱産地
文春新書『邪馬台国は「朱の王国」だった』(7月20日発売)のスタート地点であり、最も頼りになる道しるべは、丹生(にう、たんじょう)という地名は、古代の朱産地である可能性が高いという学説です。
一九七〇年に刊行された松田壽男氏(早稲田大学教授、東洋史家)の『丹生の研究』によって提示され、現在はほぼ定説化しています。
『丹生の研究』は、邪馬台国やヤマト王権の歴史を直接のテーマとはしていませんが、神武天皇の伝説の舞台が奈良の朱産地と重なっていることをクローズアップしています。
『丹生の研究』が発表されたあと、奈良の朱産地が話題にされるときは、近畿説の場合の邪馬台国をふくめて、奈良盆地における古代国家の動向が必須の論点となっています。
「丹生」の地名は全国四十か所以上にあるそうですが、丹生地名に丹生神社があり、古代からの朱産地があるという代表的な事例は、三重県多気町の丹生地区です。
この神社の近くに、昭和期まで稼行していた丹生水銀鉱山があります。
神仏混淆の歴史をとどめ、丹生神社に隣接して、真言宗の寺院があります。
朱の考古学の第一人者、奥義次氏(三重県在住)に案内していただき、そのあと、レクチャーを受けました。
二メートルちょっとの高さのトンネル状の採掘跡。
これは古代の採掘跡ではなく、昭和時代の鉱山の跡です。
大分県は朱産地の多い九州のなかでも、最大の朱産地です。大分市にも丹生神社があります。
こちらは佐賀県嬉野町の丹生神社。市内七か所に丹生神社があります。
嬉野市は「九州西部鉱床群」と呼ばれる朱産地の集積地の一角です。
滋賀県には朱の採掘にかんする記録はありませんが、状況証拠的ないくつかの記録があります。丹生の地名と丹生川もそのひとつです。