謎の知識人集団のウェブサイトに紹介文を載せてもらいました。
拙著『邪馬台国は「朱の王国」だった』についての紹介文を、大学時代の友人M君たちが共同運営しているウェブサイトに載せてもらいました。
うちわぼめ御免
いわゆる〝うちわぼめ〟というやつですから、たっぷり眉に唾をつけて読んでいただければと思います。
元新聞記者で、脳みその中は半端な読書と耳学問で得た知識だけ、専門知識に欠ける私の書いた文書を、ごく自然にすくい上げてくれています。
短所は、裏から見ると、長所ということ?
蒲池さんが書く歴史本のアプローチが面白いのは、歴史学、考古学、科学から、伝承にまで目くばりを効かせ、思わずうなずく視点を示しつつ話を進めるところだ。
この本のアングルもそうだが、専門学説のみならず地域の歴史家らの案にも注目、机上研究だけでなく多くの地域を歩いて探り、現代の眺めに古代の風景をさりげなく浮かばせて、読書の楽しさに実感を加えてくれる。
M君たちのサイトは「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」というとおり、グループによる運営であるのですが、その前身は高校時代にやっていた同人誌にあるそうです。
詳しいことは聞いていませんが、どうもかなりハイレベルな芸術、思想、文芸についての高校生同人誌だったように推察しています。というのも、M君は私が属していた大学のゼミの知的指導者であったからです。大学二年生時点で、M君はすでに<知識人>の風貌をもっていました。
最近、おもいついた「読書家二分類」の新説
最近、思い至ったのですが、読書家を自称する人(昔の言葉でいえば知識人)は二つのグループに分類できるのではないでしょうか。(サンプル上の制約により、日本人男性についての分類)
① 高校時代、幅広く深い読書をした人
② 高校時代、大学受験を優先し、限られた読書しかしていない人
小学校にはじまる学校教育では、「読書」を推奨して、子どもたちに本に親しませようとしていますが、中学、高校になって、度を過ぎた読書によって、勉強に支障が出ることさえあります。
友人のM君は明らかに、①に分類すべき人です。たぶん、その仲間の同人誌およびウェブサイトのメンバーも同類なのではないでしょうか。
自分の知人のうち、①のグループに属する読書家が、数人、思い浮かびますが、どこか共通点があるのです。
私はマルクスも柳田国男も、大人になってから購入(あくまでも購入!)しましたから、明らかに②です。
私は読書家を自称するほど、本を読んでいるわけでもないので、②に入るかどうかも微妙です。
仮に、大人になって懸命の読書をして猛追したとしても、①の分類の人たちと同じ世界を共有することはできないのではと思います。
①グループと②グループの違いは、読書量とは別の問題です。
学歴とも無縁です。
高校時代に豊かな(過剰な?)読書をしたかどうかで、どうして、二分類が可能なほどの違いが生じるのでしょうか──。
と私が言っているだけですが。
そこには、人間の精神と本をめぐる、妖しく、怖ろしい問題が横たわっているような気もしますが、簡単に答えが出そうにないテーマなので、本日はこのあたりでやめておきます。