縄文本・古代史本の愛読者にも超お勧め! 映画『縄文にハマる人々』
評判を聞きつけ、遅ればせながら、ドキュメンタリー映画『縄文にハマる人々』を見てきました。まったく私の個人的な観察にすぎないのですが、来ている人たちの大半は、アート系男女、スピリチュアル系女性、ディープな映画マニアであるように見えました。というわけで、本日は、並みの<古代史本>よりもはるかに面白く、情報量も豊かなこの映画について書いてみます。
魅力的なアマチュア縄文学者
この映画は主にインタビューによって構成されています。
縄文文化にかかわる研究者、アーティスト、社会活動家など26人が、それぞれの縄文観を披露しています。
本、論文などをとおして、存じ上げている名前が10人くらいいました。
私は「縄文本」が好きで、けっこう読んできましたが、小林達雄氏(國學院大学名誉教授)、小山修三氏(国立民俗学博物館名誉教授)、山田康宏氏(国立歴史民俗博物館教授)など、大手出版社から出ている「縄文本」でお馴染みの先生方もこの映画に登場し、熱弁をふるっています。
ところが、小林先生らアカデミズム系の研究者と同じような扱いで、出版業界ではキワモノ扱いされている本(学術関係者の視点からするとトンデモ本?)の著者であるアマチュア縄文学者たちも次々と登場し、独自の縄文論を語っています。
アマチュア研究者による「縄文本」の多くは、縄文のイメージを表現しようとするためか、どぎつい装丁になりがちで、タイトルもぶっ飛んでおり、たいていの場合、文章や構成にも難があるので、見るからに妖しげな雰囲気をさらけだしているものです。
ところが、この映画のなかのアマチュア研究者たちは実に魅力的です。彼らが語る言葉は、エネルギッシュで、奇妙な説得力があります。
まず、驚いたのはこの点です。
縄文人は、生命誕生の秘密と宇宙創成の秘密を熟知しており、生命と宇宙の神秘を解き明かす<統一理論>が縄文土器には込められている──というような内容のコメントをしているアマチュア縄文学者もいました。
本を読んでいて、こうした文面にぶつかると、つい、引いてしまう人が少なくないと思いますが、映画のなかでは、アマチュア研究者たちの真摯な人柄や情熱が画面をとおして伝わり、表情、声の感じにも、トンデモ臭はまったく感じられないのです。
それとは反対に、学術系の研究者、考古学者の先生たちの方が、引き立て役のように見えくるくらいです。
過激な「縄文特集記事」的な面白さ
私は本を編集したり、執筆したりという仕事をしているので、つい、出版の世界と比較対照してしまうのですが、この映画は、出版業界ではまず不可能とおもえるリスキーな企画を軽々と実現しています。
それは学術系の研究者・考古学者とアマチュア縄文学者(トンデモ本と言われかねない過激な言説を唱えている人たちをふくむ)を同じ作品のなかに配置していることです。
こうした企画が、一般の本や雑誌で困難であることは、どなたにもわかると思います。
本や雑誌で、有名な大学教授やお堅い考古学者が、突飛な言説を展開しているアマチュア縄文学者と、活字のうえで〝同席〟することを了承するでしょうか。
この映画を雑誌の特集記事でたとえるならば、『季刊考古学』と『ムー』と『現代思想』の三誌の共同企画。実現不可能なコラボです。
なぜ、このような〝奇跡の企画〟が実現できたのでしょうか。
企画書なき企画
その秘密を解くカギが、映画パンフレットに掲載されている山岡信貴監督の一問一答を読んでわかりました。
Q:インタビューした方々はどのように決めて行ったのでしょうか?
A :本当にこれが映画になるものなのか、確信が持てないまま、縄文に対する興味だけは断ちがたく、様々な資料に目を通す中で、話を直接聞いてみたいとか、インタビューさせていただいた方からのご推薦で、流れに任せてインタビューを続けていった感じです。
明確な企画、おおまかな構成が固まったあと、撮影をはじめたのではなく、情報収集・調査の段階から、撮影をはじめていたというのです。
つまり、行き当たりばったりの撮影。
良くいえば、<企画書なき企画>?
映画パンフレットによると、山岡監督は、全国各地の縄文にハマった人たちへのインタビューに5年間を費やしたそうです。
<企画書なき企画>なので、インタビューに応じた人たちも監督自身も、どのような人たちが出て、最終的にどのような映画になるのか、その時点ではわからなかったのです。
山岡監督による取材と調査のプロセスそのものを追いかけるドキュメンタリー映画という性格をもたせることで、この映画には、プロ、アマふくめた多様な人たちの縄文論が盛り込まれています。
本や雑誌では不可能な〝奇跡の企画〟が実現した背景には、時間と手間ひまをかけたこうした映画制作上のプロセスがあるのは明らかです。
世界で最も美しい謎
「縄文文化とは何か?」。その答えを探しての、5年間の旅の記録がこの映画です。時系列的に編集されているわけではないのですが、北海道、青森県から鹿児島県に至る列島各地の縄文遺跡をめぐるロードムービーという一面もあります。
5年間の撮影と取材を経た結論は、縄文文化は謎だらけで、縄文土器の意匠もけっきょくのところ意味不明というものだったようです。
山岡監督はそれを、
世界で最も美しい謎
と表現しています。
人間は誰しも、問いに対して、答えを求めます。
しかし、この映画は、謎は謎であることによって価値があると語りかけているようにおもえました。
謎は謎であることによって美しい。
もし、そうであるならば、大学の先生の言葉も、アマチュア縄文学者のすこし妖しげな言説も、等価であることになります。
この映画のなかのアマチュア研究者に存在感があるのは、山岡監督のこうしたおおらかな視点に由来することは言うまでもありません。
映画『縄文にハマる人々』には、最新の学説や発掘成果はあまり話題になっていませんが、プロ、アマふくめた研究者やそのほかの関係者の、情熱や人間性がクローズアップされています。
縄文ストレッチという健康体操の指導者、
縄文人になりきるため、竪穴式住居に暮らす陶芸家、
縄文式の人材育成、家族教育の推進者。
なんだかよくわからないけれど、過剰な熱量で縄文を語る人たちが次々に登場します。
そして、全国各地の縄文遺跡をとりかこむ、息をのむように美しい風景。
千両役者さながら、自らの魅力を誇示する縄文の土偶や土器たち。
縄文ビーナスをはじめ、国宝の縄文土偶、土器たちは、映画のなかで博物館で見るときとはひと味違った存在感を示しています。
それもこの映画の魅力のひとつです。
アート系でちょっとゆるめの映画
エンディングテーマは、知る人ぞ知る(が、私は知らなかった)幻の音楽集団「森は生きている」の代表作。
ということからもわかるとおり、古代史をテーマにはしていますが、アート系の映画として制作された美しい絵と音に満ちた作品です。
複数の人たちへのインタビューによって、ひとつの世界を表現しているので、1990年代以降、シリーズ化されていた『地球交響曲(ガイアシンフォニー』を連想する人がいるという話を聞きました。
(私は1990年代の初頭、山梨県で新聞記者をやっていて、生協のおばちゃんたちやエコロジー系の団体が運営する『地球交響曲』の自主上映会に取材に行っていました。あの自主上映会の盛り上がりはよくおぼえています)
しかし、『縄文にハマる人々』には、『地球交響曲』のように、監督の世界観、価値観をこれでもかこれでもかと提示する印象はまったくありません。
『地球交響曲』のようなシリアスな雰囲気はまったくなく、『縄文にハマる人々』というタイトルのとおり、ゆるいムードが全編に漂っています。
ゆるいけど、まじめ。
ゆるい中の緊張感。
映画を実際にみての私の結論は、『地球交響曲』にはまったく似ていないということです。
私はこの映画を、渋谷駅近くのシアター・イメージフォーラムで見ました。
上映スケジュールをみると、しばらくやっているようなので、「最近の古代史本、縄文本は今ひとつだなあ」とぼやいている方にはお勧めします。
きっと新しい発見があるはずです。
このタイプの映画の宿命として、東京など都市部でのみの上映ということになっているようですが、縄文遺跡のある地方の町で、ごく普通の地元の人たちに見てもらいたい映画です。
高画質の映画なので、上映には技術的な問題があるそうですが、地方での地道な上映活動を期待します。
そして、海外での上映も楽しみです。現代の<日本人論>としても出色の出来であるとおもうからです。