桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

古代の浅草は馬の放牧地だったのか?

内外の観光客でにぎわう東京・浅草の浅草寺

浅草の界隈には、平安時代あるいはそれよりもずっと古い古墳時代から、馬の放牧地があったという説があります。

拙著『「馬」が動かした日本史』(文春新書)のなかから、謎多き浅草寺の歴史に関係するかもしれない、浅草と馬にまつわる話を紹介します。

 

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修学旅行の学生。外国人からの来訪者。多くの観光客でにぎわう浅草寺の境内に鎮座する浅草神社。 

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浅草神社には、この地に朝廷の管理する馬牧があったということが、断定口調で書かれたパネルが設置されています。 

 

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ごぞんじのとおり、東京都と埼玉県に神奈川県の川崎市全域、横浜市の半分以上を加えた地域を、古代以来、武蔵国といいました。

平安時代の行政がわかる「延喜式」には、武蔵国に朝廷の牧が六カ所あったと記載されています。

 

古代の東京周辺は人口が少なく、馬の放牧地が目立つ地域だったようです。

武蔵国にあった六カ所の馬牧はどこにあったのか?

立地場所については諸説紛々ですが、そのうちのひとつ「檜前(ひのくま)馬牧」の有力な候補地が台東区浅草なのです。

 

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浅草寺の門前の道を今も「馬道通(うまみちどおり)」といいますが、この地名の由来はよくわからないそうです。

 

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馬道通を隅田川の方に歩くと、駒形橋のたもとに「駒形堂」があります。

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浅草寺の発祥地ともいわれる特別の場所ですが、駒形堂はその名の通り、馬頭観音を本尊としています。

馬頭観音は、各地の馬産地で信仰されています。死んだ馬を供養するとともに、さらなる繁殖への祈りも込められています。

 

そのような馬頭観音が、なぜ、浅草で信仰されているのか?

 

浅草という地名の「草」にも、馬牧のある風景が見えています。

 

浅草の歴史には「馬」の影がちらついているのです。

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浅草寺から歩いて十数分、隅田川をはさんで対岸の墨田区向島に「牛嶋神社」が鎮座しています。

このあたりには、古代の牛の牧があったと伝わっています。

 

浅草は隅田川下流域にあたり、古代であれば氾濫原草原が広がっていたはずだ。

向島隅田川と荒川がつくる三角州に位置しているが、三角州は馬が逃げるのを防ぎやすく、古代の馬牧の適地とされる。

伝承や現在の地形など状況証拠からの推定ではあるが、浅草周辺に古代の馬牧があった可能性は相当に高いと思う。

(文春新書『「馬」が動かした日本史』P142

 

 

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 この牛をなぜると、御利益があるそうです。

 

浅草に古代の牧場があったという話は、JA(農業協同組合中央会)のウェブサイトにも出ています。 

  

www.tokyo-ja.or.jp