桃山堂ブログ

豊臣秀吉の<謎>、火山と古事記の探究、電子書籍への挑戦。

文春新書のPR用無料電子書籍ですが、入魂の一作です。

桃山堂蒲池明弘が執筆した無料電子書籍『火山で読み解く古事記の謎 トラベルガイド ──神話の舞台を歩く』(文藝春秋社刊)が、本日六月三十日、アマゾンキンドルその他の主要電子書籍ストアで入手可能となりましたのでお知らせします。

文春新書『火山で読み解く古事記の謎』でとりあげた古事記神話の舞台を、写真をふんだんに使って紹介しています。

 

 

 

オリジナル作品の無料電子書籍です!

PR用の無料電子書籍といえば、有料版の購入へ誘導するため、冒頭部分だけを紹介するのがよくあるケース。サンプルとも呼ばれていますが、今回、刊行した無料電子書籍はサンプルではなく、オリジナル作品です。

 

鬼界カルデラで有名な鹿児島県の硫黄島火山、天孫降臨神話の舞台とされる霧島・高千穂峰のほか、出雲地方、熊野地方の火山の風景を写真と文章で紹介しています。

 

文春新書『火山で読み解く古事記の謎』でとりあげた話題の背景説明をしつつ、現地の情報をもりこんで、旅行ガイドとしても活用していただける内容にしあげています。

 

文字数は一万五千字、写真は四十四枚、掲載しているので、紙の本でいえば、三十ページちょっとという長さです。 

 

 ちょっとした裏事情

なぜ、オリジナルの無料電子書籍を作ることになったのかというと、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』の「はじめに」で書かせていただいた以下のことが、もろもろの事情によって十分に果たせなかったからです。

 

この本は、火山と古事記を結びつける本や論文を紹介するブックガイドであり、読んでいただく皆さまを旅へと誘うガイドブックでもあります。九州、出雲、熊野。旅の目的地は古事記神話の舞台であり、縄文時代あるいはそれよりもはるかに遠い過去の日本列島です。 

火山と古事記をめぐる時間旅行にご同行いただければ幸いです。今までご覧になったことのない驚異の風景をご紹介できると確信しています。

 

 古事記と火山をテーマとした「旅のガイド」であると宣言し、「驚異の風景を紹介します」と書いておきながら、写真は十枚しか掲載できず、紙の本・電子書籍ともに白黒写真でした。旅行情報もきわめて乏しい内容です。

著者としてそれが心残りだったのですが、文藝春秋電子書籍編集部のスタッフとそのような話をするなかから、カラー写真をふんだんに使った無料版の電子書籍を出そうという企画が生まれました。

 

最初は、もっと短くて安易なものを考えていたのですが、文藝春秋電子書籍編集部の担当編集者Iさんとやりとりしているうちに、次第にレベルアップして、当初の計画をはるかに上回る〈作品〉となりました。

 

という次第ですので、PR版ではありますが、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』をすでに読んでいただいた方にもお楽しみいただける内容です。

既読の方も、未読の方も、ぜひ、お目通しいただきたいとおもいます。

 

こちらは、楽天kobo

books.rakuten.co.jp

 

スマホでも簡単に読むことができます

 もし、電子書籍を利用していないようであれば、ぜひ、これを機会にお試しねがいます。

スマホをお使いであれば、アマゾンキンドル楽天koboなどのアプリを入れれば、簡単に見ていただけるはずです。

 

ありそうでなかった奇跡のイベント? 練馬区の図書館で練馬の出版社の展示会

「ねりまで本をつくる、本をつなぐ~練馬区出版社展示会~」というイベントが、練馬区立の南田中図書館で開かれ、弊社桃山堂の本も展示していただきました。複数の図書館で開かれている巡回イベントで、五月十四日は南田中図書館の開催日でした。

 

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弊社は桃山堂という出版社を名乗っていますが、立派な事務所をもっているわけではなく、ライター仕事をしながらの出版社のまねごとをやっている程度です。

練馬区の出版社」なのかどうか微妙な存在ですが、唯一の社員である私が練馬区民なので、練馬の出版社として声をかけていただいたようです。

ありがたいことです。

 

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電子書籍にも注力しているので、電子書籍『秀吉と翼の犬の伝説』もiPadにて展示してもらいました。

文藝春秋社から出してもらった『火山で読み解く古事記の謎』もあわせて出品。

 

 

 

 

 

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「図書館にある本で、どれか一冊、お勧めの本を」ということでしたので、西郷信綱氏の岩波新書古事記の世界』にしました。

古事記かんけいの本、あまたあるなかで、学術的な関心にとぼしい私にとっていちばん面白い本です。

こんな感想を書きつつ、ちゃっかり、自分の本の宣伝をしてしまいました。

 

国文学者の西郷信綱による『古事記の世界』は、ちょうど50年まえの1967年に出版された岩波新書ですが、今なお輝きを放つ言葉にあふれています。

 

原始や古代が終ったからといって、原始的思考や神話的思考が、跡形もなく人間の精神から消え去るわけではない。それは今なお、私たちの心の中で生命力をもちつづけていると述べたあと、西郷信綱は次のような言葉をしるしています。

 

「子供的なものが大人のなかに生きるように、人間精神にとっても過去は現在の深みまたは余白に保存され、さまざまな姿と化して明滅しつづける」(『古事記の世界』8ページ)

 

古事記を「面白い」とおもえるとしたら、それは私たちの精神の底にある〝原始の心〟が反応しているからかもしれません。

 

もし、『古事記の世界』を気に入っていただければ、同じ著者による『古事記注釈』(ちくま学芸文庫全8巻)がお勧めです。こちらも練馬区立図書館で借りることができます。

 

実は、桃山堂/蒲池明弘が出版した『火山で読み解く古事記の謎』『火山と日本の神話』は、西郷信綱古事記論に真っ向から歯向かう内容です。もっとも、西郷信綱古事記学の横綱であるならば、桃山堂はちびっ子力士のようなもの。王道と異端かもしれません。双方を読むことで、古事記の読み方の多様性を実感していただけると思います。

そこにも古事記のもつ大きな魅力があるはずです。

 

参加している出版社は、あすなろ社、うぶすな書院、榎本事務所、エリエイ・プレス・アイゼンバーン、音楽の世界社、架空社、子どもの本棚社、秀作社出版、新星書房、STAND! BOOKS、大福書林、段々社、テス企画、永岡書店、ビレッジプレス、桃山堂、リーブル、旅行人、レクラム社の十九社(あいうえお順)です。

それぞれ出版社が、自慢の五冊を展示しています。

 

中堅の老舗出版社もありますが、ほとんどは少人数の小さな出版社・編集プロダクションのようです。

エリエイ社は鉄道専門の老舗出版社で、改めて日本の出版界の奥行きを実感しました。

医学系の研究者ながら、吉本隆明推薦の思想家めいた学者である三木成夫という不思議な知識人がいました。三木成夫の本をたくさんだしている、あすなろ社の本も展示されていました。

 

私は最末席ながらも、参加社の一社なので感想を述べるのも変な話ですが、図書館での〈イベント〉としては出色の面白さだとおもいました。

 

そもそも、「地元出版社の本を展示する」というイベントが成立するのは、都心部に近いようで微妙に田舎である練馬区だかこそできた不思議な企画です。

 

本の町神保町のある千代田区にある出版社は数百を超えるでしょうから、とうていありえない企画ですし、文京区民に改めて、講談社やそのグループ会社を紹介する必然性もありません。

 まったくのヤマ勘ですが、杉並区とか世田谷区だと、百社くらいはありそうです。事務的にも、スペースのうえでも難しいとおもいます。

 

練馬の十九社というのは多すぎず、少なすぎず、ちょうどいい頃合いで、まさに、練馬区の図書館だからこそ実現できた奇跡的な(?)イベントです。

 

 次回は、六月十一日(日曜日)、六月十八日(同)、それぞれ大泉図書館、貫井図書館で開催されます。あわせて、出版社の編集者による説明会も企画されています。(こちらは事前の申し込みが必要)

 

貫井図書館は、ユニークな活動が全国的(もしかすると世界的?)に注目されている練馬区立美術館と隣接しているので、ほかの区の皆さまも美術館めぐりのついでに、ぜひ、図書館ものぞいてみてください。

西武池袋線中村橋駅から五分もかからない便利な場所です。

 

練馬区美術館は、歴史的に埋もれていた才能を発掘し、光をあてる活動で知られており、話題の展覧会を連発しています。メディアでもたびたびとりあげられています。

 

 「練馬の出版社」のイベントの日は、この展示です。「漆の画家」というタイトルだけで、すでに面白そうな気配を漂わせています。

www.neribun.or.jp

 

 

「学芸員はがん」発言の背景──観光をめぐる地域社会の過剰でゆがんだ期待

 「学芸員はがん」という発言で問題となった山本幸三・地方創生担当相は、博物館、美術館の学芸員に、「観光マインド」──つまり、集客努力が必要だと主張しています。 

単なる政治家の失言というだけですまない厄介な問題だとおもうのは、学芸員に集客や観光PRを期待する声は以前からあって、近年、一段と勢力を増しているように見えるからです。

地域社会から、たちの悪い「観光マインド」を求められ、困惑していた学芸員、自治体の研究職の人たちを見たことがあるので、山本大臣の発言を考えるデータとして報告したいとおもいます。

 

www.huffingtonpost.jp

 

学芸員の利益相反 

現在、私は個人営業で出版社のまねごとをやっているのですが、大学卒業後は新聞社で記者をやっていたので、博物館、美術館には取材者として出入りしていました。

取材をとおした個人的な経験以上の知見は持ち合わせていませんが、その範囲で書いてみます。

 

 学芸員は、美術、歴史、文学から、生物、地学、天文学まで、それぞれの領域で高度の知識をもつ研究者/専門家であると同時に、博物館や美術館を運営する地方自治体あるいは企業、団体の一員という一面もあります。国立の施設の学芸員なら国家公務員であり、研究者としてもトップクラスです。

 

 地方で活動している学芸員のほとんどは県庁や市役所の職員ですが、自分の専門分野の学会に属する研究者としての顔をあわせもっています。

あるいは、考古学の調査などを担当する市役所、県庁の職員も、研究者であり地方公務員です。

 

研究活動を通して、地域に貢献できれば、お互いにハッピーなのでしょうが、昨今のように、観光客の動員を数値的に期待されると、ひとりの学芸員の中で、研究者としての自己と自治体職員としての自己が「利益相反」を引き起こす恐れが生じます。

 

大統領としてのトランプ氏と企業経営者としてのトランプ氏、この二つの立場に利害の矛盾した場合どうするのだという「利益相反」の問題は、学芸員について典型的な当てはまることです。

自治体職であり研究者である地方在住の学芸員。二つの立場に矛盾が生じて、困惑している現場を、実際に見たことがあります。

 

観光PRか、それとも研究者/専門家としての良心か──

ずいぶん前の話ではありますが、NHK大河ドラマで、ある戦国武将の物語がとりあげられ、例によって各地で関連イベントや展覧会が開かれていました。

 これもまたよくあることですが、その戦国武将の一族の来歴ははっきりせず、先祖伝承が全国各地に残っています。

 

アカデミックな歴史学では史実とされていない話で、テレビで放映された大河ドラマでもとりあげられていないにもかかわらず、虚実のはっきりしない伝承のある複数の地方都市で、大河ドラマに便乗したイベント、展覧会が行われていました。

NHKなどが主催する展覧会が公式イベントであるとすると、文字通り、非公式イベントです。

 

  ◯◯県では、学芸員や研究職の人たちが、展覧会、観光イベントにはある程度、協力して、パネルや資料などで、史実と伝承の違いを注記するという工夫をしていました。

 これはこれでスマートな対応だとおもいます。

同じようなケースに遭遇した場合、学芸員の多くは、そうしてバランスをとっているのではないでしょうか。

 

別の県ですが、観光イベント、PRにはいっさい協力しないというAさんという人がいました。

その当時、五十代で、市役所の組織においては幹部的なポジションでした。

専門家としての自信はもとより、年齢的な重みもあって、協力拒否という強気の対応をとることができたのかもしれません。

 

最初、電話で話したとき、こんなことを言っていました。

「この土地に◯◯氏という武士がいて、戦国武将◯◯△△の先祖であるという話もありますが、信頼できる史料によって考えると、その可能性はほとんどありません。市役所の観光関係部局、地元の観光業者が、大河ドラマに便乗できる千載一遇のチャンスと考えるのはわかりますが、私の立場で、誤った伝承を根拠とする観光イベントに協力することはできません」

 

市役所内部、あるいは地域社会のなかで、なにかと面倒なのではないでしょうか──と私は質問しました。

「たしかに針のむしろです。大河ドラマが終わるまで、じっと我慢するしかないとおもっています」

 

トンデモ観光イベントに暴走する地域社会

実は電話で話をしていた時、私は、専門家としての良心はわかるけれど、すこし意固地すぎないか──そんな感想をもっていました。

大河ドラマに便乗して、ちょっとしたイベントをやるくらい、いいんじゃないの? という認識だったのです。

 

史実とはいえないとしても、伝説・伝承のたぐいは無視できないほどあって、それはそれで歴史マニアの興味をひくものであるからです。

 

しかし、実際に現地に行ってみると、もし、私が学芸員や自治体の研究職であったとしたら、相当、つらい状況だなあ、と思わざるをえませんでした。

 

町じゅうにのぼり旗がひるがえり、すっかり、お祭り騒ぎになっていたからです。

そこかしこに立てられている真新しいパネルには、不確かな伝承でしかないことが史実であるかのように書かれ、立派な石碑まで新設され、その手のことが彫られていました。

 

両論併記的な書き方をして、史実と伝承をわけて説明するべきだとおもうのですが、すべて断定調の文章です。

 

どこかの独裁国家ならともかく、現代日本の光景です。

あまりにも、自分たちの地元に都合のいい、歴史解釈はかえってマイナスの印象を与えかねないのに──と心配になってしまいました。

ちょっとゆがんだ意味ですが、実に興味深いパネルと石碑でした。

 

官民をあげた観光PRの成果なのでしょうが、いつもはその地域で見かけることのない大型観光バスが、毎日のように来ていたようです。

でも、そこから実りある展開が生まれたという話は、残念ながら耳にしません。NHK大河ドラマに便乗したあの観光イベントが一過性のものであったことは明らかです。

 

百台だか二百台だか聞いていませんが、大型観光バスが来たのですから、大河ドラマ便乗企画は成功だったのでしょうか。

私の勝手な感想でしかないのですが、どのような観点から判断しても、成功だったとは思えないのです。

 

もちろん、山本大臣はそのような怪しげな観光イベントにまで協力するよう、学芸員に求めているわけではありません。

 

 また、新聞記者時代の私は地域の観光業界も取材先でしたから、地域社会が学芸員や研究職の地方公務員に「観光マインド」を期待する切実な気持ちがわからないわけではありません。

それが一〇〇パーセント悪いと言うつもりはないのですが、集客数や経済効果に結び付ける議論には危ういものを感じます。

 

NHK大河ドラマをめぐる地域社会の暴走は、極端な事例かもしれません。

しかし、イベントによる観光客の誘致は常態化しており、そこに学芸員や研究職の人たちがかかわるのも珍しくはないでしょう。

 

一人でも観光客を増やしたい観光業界からすると、学芸員や研究職の人たちの対応は腰が引けて、非協力的に見えるはずです。その気持ちもよくわかります。

山本大臣の耳には、そうした観光関係者の不満の声が入っており、それによって、学芸員に対する心証が形成され、当の問題発言に結びついたのではないか──。

私のまったくの憶測でしかないのですが、そのあたりに問題発言の<根っこ>がある気配を感じます。

 

ずいぶん前の話で、Aさんは定年退職して久しく、もう時効であろうと判断して、ここに書かせていただいた次第です。

ことの性質上、話をぼやかしたうえで、少しだけごまかしの表現もあります。

電話での会話については、メモや録音をきちんと残しているわけではないので、私の記憶にもとづく再現ですから正確ではありませんが、話の趣旨を伝えることはできたとおもいます。

 

レベルの高い、<学び>の観光モデル?

学芸員の社会的な存在意義は、調査・研究をとおして、地域社会の知的な資産を充実させることであって、集客や観光PRはそれに付随するものであるはずです。

 

もし、学芸員、研究職に「観光マインド」を求めるとしたら、名所旧跡めぐり、温泉、グルメ、土産物屋にとどまらない、<学び>を起点とする、レベルの高い、未来的な観光モデルを考えてほしいものです。

 

学術的な知見によって、住民も気づいていない地域の価値に光をあて、訪れる人を現実世界の再発見に導くような──というと大げさですが、知的な刺激に充ちた観光のPRであれば大歓迎です。

 

長い目でみれば、それが地域社会の魅力を高めて、観光にも好影響をもたらすとおもうのですが、どうでしょうか。

 

でも、これは、山本大臣の求める「観光マインド」より、さらに難しいテーマかもしれません。

勝手なことをいろいろ書いて、結局のところ、学芸員の仕事をさらに増やそうとしているだけなのかもしれません。

 

「学芸員はがん」? 新聞社、出版社、あらゆる物書きには心強い存在

本をつくる仕事をしていると、博物館などに勤務する学芸員に問い合わせることがしばしばあります。大半は面識のない人です。

素人じみた当方の質問、疑問に対し、いつも的確な返答をいただき、たいへん助かっているので、「学芸員はがん」という山本幸三・地方創生担当相の発言には強い違和感を覚えます。

個人営業の超零細出版社の視点から、この問題を考えてみます。

www.huffingtonpost.jp

 

学芸員は大学の研究者と並ぶ専門家集団

報道によると、山本大臣は「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と述べたそうですが、批判をうけ、一応、撤回しています。

 

博物館、美術館に勤務する学芸員の仕事はさまざまですが、それぞれの担当分野の専門家であることが必須条件であり、調査・研究が職務の基本であるとされます。(実際は、雑務が多くて、研究職の実態は乏しいという話も聞きます) 

 

学芸員は国家資格のひとつなので通信教育で勉強して資格をとることは可能でしょうが、資格保持者のうち、実際に学芸員のポストにつくことができる人は一パーセントというデータもあります。非常に狭き門です。

博士号をもっている学芸員は少なくないし、古代史の研究者である◯◯教授、美術評論で有名な◯◯教授も、若いころは博物館、美術館の学芸員でした。

 

日本の社会を俯瞰すれば、学芸員という存在は、大学の研究者に次ぐ、学術的な世界の専門家集団といっていいとおもいます。

でも、その歴史は比較的浅く、社会的な認知を十分には得られていないのではないでしょうか。

 

  私が新入りの新聞記者として、美術館、博物館をうろうろして、学芸員さんたちから話を聞いていたのは、三十年くらいまえですが、当時からすると、日本の学芸員さんの世界は格段にレベルアップしています。

県立の博物館、美術館くらいにしか学芸員はいなかった時代は、そう昔のことではありません。

 

だから、山本大臣は、こう言えば良かったのです。

 

「今や日本の各地に専門知識をもった学芸員さんが勤務する博物館、美術館があり、欧米先進国に引けを取らないレベルに達しています。

しかし一方で、人口減少などによって、地方の博物館、美術館で経営的に厳しいところが増えているのも事実。

したがって、私ども政治家の立場から学芸員の方々に提案したいのは、どのように地域の情報を発信していけば、地域社会の盛り上がりに結びつくか──地元の人たちといっしょに知恵をしぼってほしいということです」

 

大臣発言を好意的に翻訳(意訳?)すれば、こんなところだとおもうのですが、どうでしょうか。

 

本やネットで調べてもわからないと、学芸員に頼ってしまう悪いクセ

ところで、私自身の博物館、美術館との接点は、見学者としての訪問のほか、<取材先>としてのかかわりでした。

 

博物館、美術館の学芸員は、資料を収集・整理して、展示するというだけではなく、新聞社、出版社、アマチュアの研究者、物好きな旅行者など、各方面からの問い合わせや情報提供の依頼に対応するという仕事があります。

 

電話で問い合わせると、だいたい、学芸員さんのところにつながれます。

 

学芸員の業務としては、本業からはずれた、その他もろもろのひとつだと思いますが、そのわりに時間もかかるし面倒なはずです。

 

私はまさに迷惑をかけている一人です。

今は本の作り手として、かつては新聞記者として、さまからさまざまな知識と情報を提供していただきました。

 

図書館で本や論文にあたり、インターネットで調べても、解消されない疑問はかならず残ります。

私もそうですが、大学や学会などの組織に属さずものを書く個人にとって、そうした疑問に答えてくれる学芸員は非常に心強い存在です。

プロ/アマを問わず、いえることだと思います。

 

宣伝になってしまうので恐縮ですが、といいますか、このブログそのものが半ば宣伝なのですが、私が個人営業する出版社から、『火山と日本の神話』という本を出したときは、島根県の博物館の学芸員さんにレクチャーしてもらいました。

提供していただいた資料をふくめて、その学芸員さんをとおして、出雲エリアの地質学的歴史を学び、それを本のなかに反映させています。

 

三月に文藝春秋社から新書として刊行された『火山で読み解く古事記の謎』を書いたときにも、各地の博物館に問い合わせを繰り返しています。

 

 八ヶ岳気象庁によって指定されている活火山のひとつですが、最後の大きな噴火は縄文時代のはじめのほうで、弥生時代から現在に至るまでおとなしくしているので、火山としての八ヶ岳についての資料はあまりありません。

八ヶ岳総合博物館に問い合わせをして、縄文時代に生じた最後の噴火についての概要を知ることができました。

本のうえでは十行足らずの記述ですが、質問に答えてくれる窓口があるのは、とても心強いことです。

 

鹿児島の開聞岳火山については、指宿市考古博物館に問い合わせました。

必要なデータと必読の学術論文を教えてもらいました。

 

ほかにも問い合わせの事例はいくつもあります。 

 本を書くための取材だというと、企画書を出してほしいとか、上司の許諾がいるとか、話が複雑になることもあるので、「物好きな観光客」のふりをして、学芸員さんに質問をさせてもらったケースもあります。

 

悪気はないのですが、締め切りが迫った中での確認作業でした。 

その際はたいへん失礼しました。この場を借りて、お礼を申し上げ、ご無礼を陳謝します。

 

山本大臣が言うように、全国の学芸員が一掃されてしまったら、私のような超零細出版社/個人のもの書きは、お手上げです。

 

その分野の専門家である大学の研究者に問い合わせることができればいいのでしょうが、大学に問い合わせの電話をして、はい、はい、わかりました、と取り次いでくれることはまず、ありません。

 

博物館は社会に開かれた組織ということもあるのか、びっくりするくらい敷居が低く、簡単に担当の学芸員の席に電話がつながります。

その結果、さまざまな雑務が学芸員のもとに、積み上がっていくのだと想像されます。

 

学芸員は若手新聞記者の<教育者>でもあること

私がY新聞に入社したばかりの若手記者の時代には、美術館の学芸員さんの話を聞いて、その受け売りで記事をこしらえていました。

 

A新聞とかY新聞のような全国紙でも、美術専門の記者なんて一人か二人しかいません。

だから、新聞に出ているほとんどの展覧会記事は、ふだん警察まわり、県庁・市役所まわりをしている記者が書くのですが、大半はピカソとダリの区別もあやしいくらいです。

 

科学や歴史・考古学についてもまったく同様です。

新聞社の地方支局に、科学や歴史の専門家記者がそろっているはずがありませんし、デスクがそうした教養をもっているケースは皆無に近いといえます。

 

科学や歴史にまつわる博物館記事がもっともらしい内容になっているとしたら、その裏には、学芸員の周到な指南があると考えられます。

 

私の限られた経験からの感想ですが、地方社会では、博物館、美術館の親切な学芸員が、若手新聞記者の<教育者>という役割も持っていることがあります。

生半可な耳学問であるとしても、優秀な学芸員によって、プチ専門記者ができあがります。

成り行きというか、行きがかり上というしかありませんが、これはこれで面倒な仕事です。

 

 全国各地の博物館、美術館に専門知識をもった学芸員がいて、新聞社、出版社、今なら、さまざまなネットメディア(個人をふくめて)からの問い合わせに対応しています。

それによって、記事や本のレベルが支えられています。

 

その記事や本をみた読者が、その分野に対する関心を高め、博物館に足を運び、それによって何かの閃きを得るというケースはきっとあるはずです。

 

美辞麗句にすぎるかもしれませんが、そこには、<知識の循環>のようなものが見えます。学芸員の蓄積した知識が、その循環を促していることは言うまでもありません。

 

 近年は個人のウェブサイト/ブログであっても、専門的な内容のものが増えており、当然ながら、そうした個人からの問い合わせは少なくないはずです。 

 関心の方向性も知識レベルもわからない人からの問い合わせへの対応なのですから、想像するだけで、その面倒さがわかります。

 

新聞記事、本、ウェブサイト/ブログ。

あらゆる領域の日本語表現は、全国各地の学芸員からの専門知識の提供によって、その知的な水準が維持され、すこしずつであるとしても、引き上げられています。

 

学芸員の本業ではないでしょうが、そうした一面があることを、偉い政治家の人たちにも知っていただきたいとおもいます。