桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

菅原道真は<古墳の神>でもあること

 

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学問の神さま、受験の神さまである菅原道真は<古墳の神さま>でもある──。豊臣秀吉による創建伝承をもつ瓢箪山稲荷神社(東大阪市)は、考えてみればあたりまえのこの真実をわかりやすく提示しています。

 

古墳稲荷で祀られる菅原道真

 

瓢箪山稲荷神社は、瓢箪のかたちをした古墳にある稲荷社で、豊臣秀吉によって創建されたと伝えられています。

 

東大阪市の山畑古墳群という一大古墳エリアに鎮座し、この古墳群で最大の「瓢箪山古墳」をご神体のようにいだいています。

 

古墳と稲荷神社が一体の「古墳稲荷」です。

 

ここは稲荷神社なのですが、菅原神社という摂社があって、菅原道真を祀っています。

 

菅原道真といえば、学問の神さま、受験の神さまですが、古墳造営集団・土師氏から分岐した菅原氏は土師系氏族の名門でもあります。

 

なぜ、この「古墳稲荷」で、菅原道真が祀られているのでしょうか。

 

その理由は、菅原道真がもともと土師氏であり、古墳にかかわる歴史をもっているからだとおもわれます。

 

菅原道真が<古墳の神>でもあることは、この神社の信仰において明らかです。

 

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菅原道真の先祖・土師氏とは

 

土師氏とはどのような一族なのか、広辞苑ではこう説明しています。

 

大和朝廷で葬式、陵墓、土器製作などを担当した氏。はにし」

 

 

土師氏を歴史上有名にしているのは古墳造営集団という性格によるので、「古代のゼネコン」と呼ばれることがありますが、それにとどまりません。

 

土木部門に加え、埴輪や土器の製作(メーカー部門)、葬送儀礼の執行(祭祀・葬儀部門)があります。

 

古墳時代(三世紀から七世紀)はまさしく、土師氏の時代といってもいいほどですが、仏教が日本列島に伝来し、普及してゆくにつれて、古墳による葬送・祭祀は次第に消えてゆきます。

 

平安時代のはじめ、土師氏からの改姓が相次ぐのは、衰退した古墳造営集団の変身願望があったようです。

 

いわば、事業転換を目指す社名変更です。

 

福武書店 → ベネッセ

松下電器産業 → パナソニック

丸福 → 任天堂

加ト吉テーブルマーク

 

 

土師氏 → 菅原氏、大江氏

 

菅原、大江を名乗るようになった土師氏は、学者や官僚としてそこそこの活躍をみせますが、多くは下級貴族です。

右大臣にまでなった菅原道真は、土師氏の一門としては異例の出世です。

 

土師から菅原に改姓したのは、道真の曾祖父にあたる菅原(土師)古人ですから、道真にとって身近な過去であったといえます。

 

 

菅原道真豊臣秀吉の妖しい関係

 

しかし、東大阪市の「古墳稲荷」に、菅原道真を祀ったのは誰なのでしょうか。

 

神社の歴史はそのことを記してはいないのですが、僕は勝手に、この神社の創始者と伝わる豊臣秀吉の意向だろうと妄想しています。

 

秀吉は菅原道真を意識していたことは、ほぼ確実だからです。

 

有名な大茶会の会場が京都の北野天満宮というだけでなく、菅原道真を祭神とする各地の天満宮に秀吉にかかわる由緒が伝えられています。

 

秀吉にとっての菅原道真は、「学問の神さま」ではないはずです。

 

土師氏の子孫であり、古墳の関係者、土器づくりの関係者として見ていたという気配がするのです。

 

秀吉の母親の出生地である名古屋の御器所が、古墳の町であり、土器づくりの町であることは何度か申し上げました。

 

豊臣秀吉菅原道真の結びつきは意外と複雑で、面白い事実がいろいろあります。

 

このブログでも順次、報告してゆきたいとおもいます。

(つづく)

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