1985年4月、新人記者の僕は、トランシーバーをもって事件現場に飛び出した
四月ははじまりの季節。新しい職場、新しい学校でこの春の日々をおくっている人も多いとおもいますが、私がY新聞社に勤務していたころの先輩のSさんは四月から、大学教授となって再スタートを切りました。
Y新聞社を辞めて十何年という私はモグリのようなものですが、S先輩の華麗なる転身を祝う会に参加させてもらいました。
すっかり縁遠くなっているので、声をかけてもらえるだけでも、ありがたいことだと思います。
入社当時の一九八〇年代の新聞社について、いろいろ話が出たので、本日はそれを書いてみます。
私がY新聞社に入社したのは一九八五年の四月で、浦和支局に配属されました。Sさんは年次で三つ上。
会合は浦和支局に勤務した十人くらいの集まりで、参加メンバーのなかでは私がいちばん若い方でした。
無線の国家試験のこと
昔話のひとつとして話題になったのがトランシーバー。
事件や火事が起きると、若手の記者は、カメラとトランシーバーをもって現場に飛び出しました。
当時、新聞社の支局は、簡易無線の基地でもあり、トランシーバーの親機というのか、一メートル以上ある大きな装置がありました。
昔の刑事ドラマに出てくるような無線装置といえば、一定以上の年齢の方なら映像を喚起していただけるとおもいます。
支局で陣頭指揮をとるデスクはトランシーバーの無線通話によって、現場の記者とやりとりをしました。
年齢がばれてしまいますが、ウルトラマンの科学特捜隊が、「こちら本部です。現場のハヤタ隊員、聞こえますか、ドウゾ」というのと同じリズムで、「◯◯です。ドウゾ」とやっていました。
なにか芝居がかった感じで、妙に気恥ずかしかった記憶があります。
「ドウゾ」というのが、こちらの話は以上で終わりの符丁です。
法律の施行細則だかなんだか忘れましたが、国が定めているルールです。
そうした無線通信にかかわる諸々を学ぶために、入社するまえの大学最後の春休み、その貴重な一週間を、トランシーバー使用にかかわる国家資格をとるための講習と試験に費やした暗い思い出があります。
だから、二級だか三級だか知りませんが、私は簡易無線にかんする国家資格の保有者です。
このスマホ時代にそんな国家資格が存続していればの話ではありますが。
暗室の思い出
Sさんのお祝いの会では、支局にあった「暗室」についても話題となりました。
暗室とは、写真の現像室のことです。
当時、カメラで撮影した写真は、自分で現像していました。
だから、締め切りが迫っているときは、事件・事故の現場から支局に戻るとすぐに、暗室に直行します。
白黒のフィルムをロールに巻いて、二種類の液体につけて、うまくいけばフィルムのできあがり。
現像機といったとおもいますが、フィルムに光をあててピントをあわせ、印画紙に焼き付けて、現像液、定着液というこれまた二種類の液体につけると、写真の完成。
写真が現像できたら、「写真電送機」なるもので、本社に送る作業です。
回転する写真に接した、針のような突起がすこしずつ移動し、一枚の写真を送るのに五分くらいかかっていました。
あの機械の仕組みは、いまだによくわかりません。
写真一枚、送るのにたいへんな時間と労力が必要でした。
いまなら、スマホ一台あれば、写真をとって送信できてしまいます。
もちろん、トランシーバーなんか必要ありません。
どうして、暗室が話題になったのかというと、ものすごく恐ろしいデスクの異動が決まったとき、支局員は暗室に飛び込んで、うれし涙で抱き合った──というエピソードからです。
暗室は、デスクの死角となる若手記者たちの自由空間でもあったわけです。
ワープロではなく、マジックペンで記事を書いていたこと
私が新聞社に入った一九八五年、まだワープロは新聞社で導入されておらず、原稿用紙にマジックペンで記事を書いていました。
ワープロが導入されたのは入社三年目ではなかったかと思うのですが、いま考えてみると、手書き時代の新聞社で徒弟時代をすごすことができたのは貴重な経験です。
トランシーバーをかかえて事件現場であたふたし、暗室で写真の焼き付けに難儀し、原稿用紙に脂汗をたらしていた私は今、パソコンに向かってさえないブログを書き、売れない電子書籍づくりに悪戦苦闘しています。
トランシーバー、暗室、原稿用紙。
わずか三十年まえなのか、三十年もまえなのか、年代によって感じ方は違うはずですが、この三十年間のメディア環境の激変に改めて驚愕してしまいます。
ブログ書きとしての私は<一年生>で、まだまだ見習い、駆け出しの段階です。
方向性が定まらないまま、右往左往していますが、ネット上あるいは電子書籍における日本語表現はどうなるのか気になります。
この何年間か、古事記のことばかり考えていたので、古事記にはじまる日本語表現の歴史の過去と未来にも興味があります。
古事記にはじまる<本>の歴史。
新聞とかネットとかの<メディア>の歴史。
日本列島における言葉の歴史。
そうした大きな流れのなかで、ブログや電子書籍について考えることができれば面白いとおもうのですが、相変わらず、その場その場の仕事を処理するだけで一日が終わってしまいます。
宴会の酩酊のように話が拡散してしまいましたが、はじまりの季節の四月、新しい決意でこのブログにもとりくんでみるつもりです。
アマゾン在庫切れ! お急ぎの方は、電子書籍をお試しください。
二〇一七年四月十一日午後一時現在、アマゾンのサイトで、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』は在庫切れ状態の表示になっています。
アマゾンで購入を検討していただいている方には、お詫び申し上げます。
先週末に一回、在庫切れの表示になって、一度、回復しました。
ありがたいことですが、その分は売れてしまったようで、昨日十日にアマゾンサイトを見たところ、再び、在庫切れになっていました。
先週末、版元の文藝春秋社に問い合わせたところ、在庫が少なくなってきたので増刷をかけたところ、アマゾンでは売れてしまい、補充するまで在庫切れの表示になるということのようです。
私は小さな出版社を運営しているので、アマゾンの在庫切れ問題ではいろいろ難儀な思いをしているのですが、著者という立場では、また違った感覚で、やきもきしてしまいます。
ただ、この作品の場合、すでに電子書籍版が刊行されているので、お急ぎの方には、電子書籍をお勧めさせていただきます。
電子書籍を利用していない人は、私のまわりにもずいぶんいるのですが、いまや、スマホで読むのが主流ですから、使い出すと、意外と便利です。
『火山で読み解く古事記の謎』の電子書籍版は、アマゾンキンドルだけでなく、楽天コボ、紀伊国屋書店系キノッピーなど主なストアで提供されています。
冒頭部分を抜粋したサンプル版は、無料で提供されているので、これを機会に、ぜひ、お試しください。
夢みるように読む──『火山で読み解く古事記の謎』の正しい読み方!?
前々回のエントリーで紹介した書評記事は、大学時代の友人に書いてもらった「内輪ぼめ」だったのですが、こちらは、まったく面識のない人が書いてくれたものです。『火山で読み解く古事記の謎』をどのように購入し、どのように読んでいただいたかがわかる貴重なデータなので、無許可でもうしわけないのですが、話題とさせていただきます。
火山で読み解く古事記の謎 | A HARD DAY’S BLOG
購入に至る背景
文春新書『火山で読み解く古事記の謎』の場合、私は著者として原稿を書いただけで、営業的なことには関与していないのですが、個人営業で出版社のまねごとをやっているので、本をどのように買っていただき、どのように読んでもらうのか、ものすごく関心があります。
最近定期的に新書を買って読むようにしています。かつてはどうしても昭和の陸海軍検証ものが多かったのですが、今は現代の世界情勢ものも読むようにしています。
そして2週間前に本屋でどれにしようかな、と本棚を眺めていて目に入ったのがこれです。
思わず、「ありがとうございます!」と叫んでしまいそうですが、冷静になって、分析するならば、アマゾンなどネット書店ではなく、ふつうの本屋さんで購入いただいたことにまず、注目します。
新書のコーナーで、何か面白そうな本はないかなと、探していたことがわかります。
小学生の頃に歴史漫画を読んでいたせいか、中学校の日本史は自然に覚えていた感じで全然苦労しなかったのですが、高校に入ってからの日本史はやたら長ったらしい仏像の名前ばかり出てきて一気に興味を無くしました。
実際高校の期末テストではいつも40点台でした。
そんな事も思い出しつつ読み始めたら、意外に面白かったです。
古事記や日本書記の神々の物語とその舞台が日本列島の火山地帯とその活動と密接に関連しているという説をいろいろ検証していて、ふーむ、なるほど、と感心しながら読みました。
私の場合、同じような名前の藤原氏がうじゃうじゃ登場するのが嫌で、高校時代は世界史と倫理社会(という教科が今あるのかどうか?)の方が好きでした。
このブログの筆者さんが、日本史マニアとか古事記オタクのような人でないことは確かですが、手に取っていただき、「ふーむ、なるほど」というリズムで読んでもらえてありがたいです。
新幹線のうつらうつら
このブログ記事が面白いのは、読んでいる場所と状況が正確に書かれていることです。
3月末の大阪出張の行き帰りに電車の中でも睡眠を挟みつつも随分読み進みました。
読んでいる本がつまらないので、活字をおっているうちに睡魔に襲われるということは誰にとってもよくあることだと思います。
たぶん、新幹線だとおもうのですが、うつらうつらしながら読んで、「意外に面白かったです」と言っていただけるのは、とてもうれしいほめ言葉です。
古事記は日本列島人の夢か
このブログの書評記事を読んでいて、思い出したことがあります。
神話というものはひとつの国民の夢のようなものだ──というような言葉を読んだ記憶があるのですが、誰の言葉が思い出せず、詩人だろうか、それとも哲学者かと考えつつ、ネットで検索してみたら、次のような言葉がありました。
夢は睡眠者の私的な神話であり、神話は諸民族の覚醒夢である。
フロイトの言葉だと書いていますが、引用文献が出ていません。
なんかユングっぽい言葉だともおもえますが、私はフロイトもユングもきんと読んでいないので、誰かの本の引用が、ぼんやりとした記憶として残っていたのだとおもいます。
古事記が日本列島の住民の夢の記録であるならば、新幹線のうつらうつらの夢のつづきのように、『火山で読み解く古事記の謎』を読んでいただいたことは、なんとも光栄なことです。
そして、夢みるように読むことは、古事記神話の正しい読み方ではないかという気もしてきます。
ところで、この書評記事を載せていただいたブログのタイトルは
"A HARD DAY’S BLOG"。
ビートルズ好きで、かつ、ジョン・レノン派だな、ということがわかる傑作ブログタイトルです。
A HARD DAY’S BLOG - バイトくんの記事一覧
数十年まえ、バイト先の会社で送別会をしてもらったときに、黒い財布を贈られたという思い出の記録。とてもいい話です。
桃山堂刊『火山と日本の神話』の電子書籍について
昨年(二〇一六年)二月に桃山堂から刊行した『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』の電子書籍化は諸々の事情ですっかり、遅くなってしまいました。今回は、『火山と日本の神話』の電子版について紹介したいとおもいます。
刊行を送らせたコバンザメ精神
昨年二月に『火山と日本の神話』を出したあと、かねてより準備をすすめていた電子書籍のプランを実現に移すべく、本格的な作業に着手しました。
電子書籍の<作り方>みたいな基本的なことを学びつつの準備でしたので、モタモタしてしまったのですが、昨年十二月には、「秀吉伝説集成」というタイトルで、五作を同時刊行しました。
秀吉伝説集成2 尾張中村 日の宮伝説 大坂夏の陣のあと、秀吉のふるさとは消滅した
- 作者: 横地清
- 出版社/メーカー: 桃山堂
- 発売日: 2016/12/01
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
『秀吉と翼の犬の伝説』は私が書いた作品ですが、『尾張中村日の宮伝説』は名古屋の郷土史家、横地清さんの論考です。
取材、執筆、編集から、電子書籍のEPUB作成まで、私がひとりでやっている家内制手工業です。
電子書籍の制作に没頭していた昨年十月、『火山と日本の神話』を読んでくれた文藝春秋社の編集者とのあいだで、この本のテーマを広げて、よりわかりやすい本にできないかという話をはじめています。
本来の計画であれば、「秀吉伝説集成」のすぐあとに、『火山と日本の神話』の電子書籍版を出すつもりでした。
しかし、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』を今年二〇一七年三月に出すことになったので、その刊行にあわせたほうがいいだろうと思って、ほぼ同時期の発売になりました。
便乗商法といいますか、コバンザメ精神といいますか、セコい商売っ気もあるのですが、それとともに、『火山で読み解く古事記の謎』の執筆のために、さらに取材や資料収集をすすめたので、新しいデータをもとに『火山と日本の神話』をブラッシュアップして、紙の本とは少し違った内容にできないかということも考えていたからです。
紙の本と電子書籍の本文テキストは違ってもいいのか?
結果的にいえば、原稿については、誤字脱字誤植を修正する程度の小幅な変更にとどめました。
同じタイトルの紙の本、電子書籍で、本文の内容が違うのは望ましくないのではないかと判断したからです。
ただ、これについては、まだ迷っていて、紙の本と電子書籍は、同じタイトルであっても、本文テキストが違っていてもいいのではないかという気持ちも一方にあります。
単純な話として、スマホで読む人が大半を占める電子書籍と紙の本の文章スタイルが同じでいいはずがない──という疑問があります。
そうであるなら、同じタイトル、同じ内容の本であっても、電子書籍でのリーディングに最適化した文章スタイルによる別バージョンが望ましいはずです。
でも、コスト、手間ひまを考えると、相当、困難であることははっきりしています。
考えだすと、あれこれ疑問や課題が浮かんでくるので、日を改めて考えてみます。
あと、写真については、新しく撮影した写真をふくめて、枚数を増やして充実させています。
コストを気にせず、カラーの写真をつかえるのは電子書籍の大きなメリットなので、それをいかすためです。
それと、私が執筆する編者による「あとがき」を一部、書きかえました。
以下のような内容です。
電子版のためのあとがき
桃山堂 蒲池明弘
二〇一六年二月、『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』を紙の本として出版したあと、いくつかの新聞、雑誌に書評や紹介記事を掲載していただきました。
「ユーラシアからアジアへと連なる観念の地勢図」(図書新聞)、
「私たちが足元の大地を学際的に捉えるヒントを与えてくれる本」(島根県の地方新聞・山陰中央新報)、
「火山活動は実は、古くから日本人の精神に大きな影響を及ぼしてきた」(日本経済新聞)
など、さまざまな切り口から好意的に論評していただきました。
意外な反響は、この本を読んでくれた文藝春秋社の編集者から、このテーマを展開して、火山と古事記のルポルタージュのような作品を書けないかという誘いをうけたことです。『火山と日本の神話』の編集をとおして知ったデータや取材の過程でかんがえたことなどをもとにして、一冊の本にまとめました。文春新書の一冊として、二〇一七年三月に刊行された『火山で読み解く古事記の謎』です。
古事記神話に火山の記憶を見る人はまだまだ少数派だとおもいます。そうしたなか、ワノフスキーの古事記論への共感が少しずつではありますが、広がりつつあるという手ごたえを感じているところです。