『火山で読み解く古事記の謎』、販売動向は「健闘中」!?
わが家の近くにある書店に、『火山で読み解く古事記の謎』が並んだのは、三月十七日(金曜日)でした。
定点観測による報告の第一回です。
定点観測による報告
チェーンの書店ですが、住宅街の店舗ですから、たいした広さではありません。
コンビニ、二店分くらいの広さでしょうか。
三年くらい前、私が個人営業している桃山堂から出した本を持って行き、「一冊でもいいので置いてもらえませんか」と店長さんに陳情したのですが、まったく相手にされませんでした。
そのときは落胆したのですが、その後、同じような経験がつづき、住宅街にある小さな書店に桃山堂がつくるようなマニアックなクセのある本を置いていただくことは不可能に近いことがわかってきました。
したがって、近所のこの書店に、『火山で読み解く古事記の謎』が並ぶことは自分史的にはひそかな快挙として喜んでいます。
発売初日の十七日(金曜日)の午後、私がこの書店に足を運んだときは、四冊あったのですが、昨日二十日の午後に見たところ、二冊になっていました。
入荷したときの冊数がわからないので、よくわかりませんが、最低、二冊は売れたようです。
近所づきあいのほとんどないマンション暮らしですので、知り合いが買ってくれたという可能性はほとんどないとおもうのですが、そうすると、いったい、この住宅街の誰が買ってくれたのかと考えてしまいます。
古事記とも火山とも無縁の、都内の住宅街です。
恐怖のメール
文藝春秋社の編集者からは、一日ごとの売上にかんする、もっとリアルな数字がメールで届きます。
何歳くらいの人が中心的な購買者であるというようなデータもふくまれています。
生データを見せてもらっているわけではないので、実際のところはよくわからないのですが、編集者さんのメールを見ると、 この手の本としては、まあまあ、「健闘」しているそうです。
著者が有名作家でもテレビタレントでもなく、まったく無名であるにしては、健闘しているのでしょうか。
マネーとも健康とも無縁で、話題性も乏しいわりには、健闘しているのでしょうか。
そのあたりは不明です。
POS
私は以前、保守系の某大手新聞社で経済部の記者をしていたことがあり、ごく短い期間ですが、百貨店、スーパー、コンビニ業界を担当していたことがあります。
一九九〇年代の後半、ちょうどダイエー帝国、セゾン王国が揺らぎ、崩壊から解体へと向かいつつあるころでした。
流通業界の専門雑誌『激流』などを読んでいました。
ネットで調べたら、この雑誌、今も出ているようです。雑誌受難のこの時代、敬服します。
当時、流通業界において、POSシステムは完全に定着していたのですが、それを最大限に活用して、急速に存在感を高めていたのがコンビニ業界とくにセブンイレブンでした。
POSシステム(point of sales system)については、「販売時点情報管理」という訳語もあるようですが、要は、どの店で、どのような客(性別、年齢など)が、何時ごろ、何を買ったのか──というデータを、レジの店員が打ち込むと、チェーンの本部でそれを把握できるという、今では一般の人たちにもお馴染みのシステムです。
最近は、ビジネス・経済かんけいの取材から離れてしまっているので、詳細はよく知らないのですが、私がスーパーやコンビニを取材していたころとの違いは、ウィンドウズOS、リナックスOSをベースとしたPOSが普及し、インターネット世界とPOSが完全に融合していることです。
それによって、POSによって管理されている対象がさらに増えたでしょうし、リアルタイム性が一段と強化されたとおもいます。
出版業界におけるPOSの歴史について、私はまったく無知なのですが、全国チェーンの書店であれば、ほぼ完璧なリアルタイムデータがあって、それをもとに物事が進んでいるのだとおもいます。
出版される本のほとんどが、POSデータによって管理されているのは、そこかしこに監視カメラのある今日の日本社会のようで恐ろしい気もします。
そうしたデータ主義に対する批判や懸念は当然あるのでしょうが、世の中の趨勢として、こうした傾向がさらに強まることはあっても、後退することはないはずです。
それにしても、その起源さえ定かではない古事記神話の謎に挑むという茫漠たるテーマを掲げた文春新書『火山で読み解く古事記の謎』という本の売れ行きが、リアルタイムのコンピューターシステムによって監視されているというのは、なんとも不思議な光景のようにも見えます。
人間社会の進歩の謎について、考えてしまいます。
著者としての私は売れ行きに一喜一憂すべき立場ではあるのですが、新聞社の経済部記者の感覚が脳内にのこっているのか、こうした状況そのものを面白がって見てしまうところがあります。
という次第で、支離滅裂なブログになってしまいますが、ビジネス視点のレポートも少しずつ、書いてみることにします。
腕ききのネット書評家のつどうサイト「本が好き!」、献本の進呈者を募集中
ネット書評家のつどうサイト「本が好き!」から、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』(桃山堂・蒲池明弘)の献本(無料進呈)のお知らせです。
ただし、本を読んで、ネット上に書評を書いていただく方が対象です。
批判、酷評も大歓迎!
というわけで、本日は、ネット書評家サイト「本が好き!」について書いてみます。
ネット書評家サイトの仕組み
私は個人営業の小さな出版社で本をつくっているのですが、その楽しみのひとつは、読んでくれた人からの感想を聞くことです。
でも、意外とそれは難しいことで、知り合いに進呈しても、「おもしろかったよ」で終わりです。
ほんとうに読んでくれたかどうかも、疑問です。
桃山堂で出している本はかなりマニアックといいますか、誰が読んでも楽しめるという内容ではなく、実用的な効能はゼロですから、それはしかたないとあきらめています。
書評家サイト「本が好き!」の仕組みは、出版社あるいは著者が、無料進呈する本を送ると、サイトの運営会社が、ネット書評家に紹介してくれ、レビュー執筆してくれる読者とのマッチングをはかってくれることです。
出版社あるいは著者の負担はゼロではないのですが、送料プラスαくらいの料金で、ネット書評家を紹介してくれる貴重なサービスです。
零細出版社の運営者としての私は、「本が好き!」を利用させてもらっています。
五段階評価で、「2」がつき、めげることもありますが、その書評を読むと、「確かにそうだ…」とおもうことが多く、非常に参考になります。
知り合いに献本しても、批判的なことを言ってくれる人はなかなかいないので、批判・酷評は得がたいデータです。
もちろん、「5」がついて、ほめていただければ、とても励みになります。
自分では気がつかなかったところに、面白さを発見していただくこともなり、こちらも貴重なアドバイスにさせていただいています。
もちろん、その書評がネット上に掲載されるので、広告的な意味のあるのですが、「酷評」が載るリスクも当然、あるわけです。
本を読むことが好きな人にとっては、無料で本を入手できるというメリットがあるので、うまい具合に、ギブアンドテイクの関係が成り立っているとおもいます。
ただし、「本が好き!」から、無料の献本をうけとるネット書評家になるには、ネットの上で書評を、ある程度、書いているという〝実績〟が条件になっているそうです。
質の高いレビューは、硬派の書評紙として知られる「図書新聞」の書評として掲載されることもあるので、もはやセミプロというレベルのネット書評家もいるということになります。
著者として献本してみました
今回、私が著者となって、文藝春秋社から『火山で読み解く古事記の謎』という本を出版したので、著者としての立場で「本が好き!」に献本しました。
「本が好き!」のサイトには以下の内容で、書面インタビューが掲載され、レビュー執筆の希望者を募集中です。
希望者が多い場合は、抽選となります。
<著者に聴きました!>
【出版はどのように決まったのでしょうか?】
昨年二月、私(蒲池明弘)が個人営業している桃山堂から、『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』という本を出版しました。
その本を読んでくれた文藝春秋社の編集者から、「テーマを深めて、よりわかりやすいかたちの本を書けないか」というお誘いをうけ、私が筆者になって文春新書の一冊として出すことになりました。
【本書の見どころを教えてください】
日本神話の誕生の謎を考えるルポルタージュ的な古事記論です。
なぜ、古事記神話の主たる舞台は九州南部なのかという疑問を起点として、アマテラスの岩戸隠れ、ヤマトタケルの遠征など有名な場面の数々が、九州の火山に結びつく可能性を検討しています。
火山の視点で古事記を読み解くことによって、アマテラスが神々の世界の最高位に君臨する謎が解明された──かどうかわかりませんが、従来とはまったく異なるアマテラス像を提唱しています。
古事記と火山をめぐる本のガイド、旅のガイドとしても役に立つようにまとめています。
【どのような方におすすめ?】
古事記や日本の神話、古代の歴史が好きな人。
「ぶらタモリ」的な地質学めいたお話が好きな人。
【本が好き!レビュアーにひと言!】
私は以前、新聞社で記者をやっていたので、元新聞記者の編集者が、火山の現場をうろうろして、古事記の謎について考えたという感じの内容です。
古事記も地質学も素人ですが、「ぶらタモリ」の乗りで、古事記の謎に挑戦しています。
古事記を読んだことのない人でも、楽しめるように工夫して書いたつもりです。
この本をきっかけとして、「古事記」の全編を読みたい! という気持ちになっていただければ、とてもありがたいです。
「本が好き!」のホームページ はこちらです。
「本が好き!」が運営するデータベース。
まだ、発売されていない本の情報を、検索で知ることができます。
これを駆使すれば、書店員並みの本の情報を得ることができます。
というか、並みの書店員以上の新刊情報を知ることができます。
書店員にとっては、おそろしい時代になっていることを痛感します。
朝日新聞の読書面に『火山で読み解く古事記の謎』の紹介記事、掲載。
本日三月十九日付け朝日新聞朝刊の読書面に、桃山堂・蒲池明弘の『火山で読み解く古事記の謎』の紹介記事が掲載されました。
「天孫降臨」の場とされる九州南部や、「国譲り」の舞台・出雲は、有数の火山地帯。古事記の神話は、縄文時代の火山巨大噴火の記憶が核になっているのではないか──まじめに探究を重ねる「火山と古事記をめぐる時間旅行」が楽しめる。(文春新書・994円)
という内容です。
〈新書〉の紹介コーナーで、ほかには、ちくま新書『あやつられる難民』、中公新書『貧困と地域』、洋泉社新書『ハイスペック女子の憂鬱』が掲載されています。
ほかの三冊はいずれも社会派。
『火山で読み解く古事記の謎』は、どうも新書らしくない内容の新書のような気がします。
高千穂──アマテラスと火山を結びつける夜神楽の町
そもそも私の脳内で、アマテラスと火山が結びついたきっかけは、今から十年くらいまえ、有名な夜神楽を見るため、宮崎県高千穂町に行ったことでした。高千穂町は、阿蘇によって形成された火山的な風景によって特徴づけられているからです。
どこかの国の政治家ではありませんが、記憶が不鮮明になりつつあることなので、思い出しつつ、記録をのこしておこうとおもいます。
二〇〇七年一月十四日というと、だいたい十年まえ
調査でも取材でもなく、気が向いて、ふらーっと夜神楽を見るために訪れただけなので、きちんとした記録をしていません。
新聞記者時代の習性で、メモをズボンの後ろポケットに入れていたとみえ、簡略なメモだけのこっています。
五時にバス停川内に到着。タイコの音がして、神社から降りてくる行列とあう
この行列について行き、神楽の舞台となる場所に向かったようです。
そこは、立派で古風なつくりではありますが、ふつうの民家でした。
障子、ふすまを撤去して、神楽の舞台がつくられていました。「神楽宿」というそうです。
高千穂町では、十一月から二月にかけての毎週末、集落ごとに夜神楽が行われます。
デジタル写真の日付をみると、私が見学したのは、二〇〇七年一月十四日です。
十年まえ、ブログのネタのことなど、考えてもいなかった
同じく、メモによると、
十時にうどん、一時におしるこ
と書かれています。
見学者、観光客もふくめて、その場にいる全員に配られました。
もちろん、十時というのは午後十時、一時は午前一時です。
文字どおり、夜を徹して、神楽の舞が演じられます。
残念ながら、うどん、おしるこを撮影していません。
二〇〇七年というと、ツイッター、フェイスブックはもとより、ブログもそれほど普及していなかったのではないでしょうか。
もちろん、私も自分でブログをやることなど考えてもおらず、ブログの写真としては格好の夜神楽のうどん、おしるこを撮影する機会をのがしているのです。
なかなか、行く機会のないところなのでモッタイナイ話です。
十年まえの私には、ブログのネタのために写真をとるという発想がまったくなかった──ということを立証する事実です。
この十年のデジタル的な環境変化を再認識させられます。
太陽の復活を朝日によって表現する夜神楽の演出
情けないことに、メモには神楽そのものについての感想、コメントなど、ほとんど見えないのですが、思い起こしてみると、観光客にすり寄るわかりやすい神楽ではありませんでした。
アマテラスが岩屋に隠れて、永遠の夜が訪れた「岩戸神話」が、夜神楽の全体を貫くテーマであるそうですが、けしてわかりやすい〈お芝居〉にはなっていません。
三十三の演目があり、その全体で何かを象徴しているにかもしれませんが、現代人がみて、すんなり理解できるという感じはしませんでした。
私は研究でも取材でもなく、単なる見物客でしたから、午前三時、四時ごろには、半ば眠りこけており、時々、意識が戻って、まだ続いていることを確認するくらいでした。
突然、神楽の会場である家の中に光がさし、はっと目が覚めました。
一瞬にして、暗闇が、光に満ちた世界に変じていました。
私がうつらうつらとしているうちに、夜は明けていたのに、雨戸か幕かで閉ざされた室内は暗く、それに気がつかなかったのです。
太陽の女神アマテラスの復活が、朝日によって象徴されているのは見事な演出ですが、予習不足で、そのことをまったく知らなかった私は心底、驚き、感動しました。
太陽の復活を祈るための神楽は、朝の光によって変調し、再生した太陽への感謝の舞が演じられます。
ここからが、夜神楽のクライマックスとなります。
メモには、夜神楽が終わったのは午前八時半で、八時四十五分のバスに乗る──と書かれています。
阿蘇火山がつくりあげた神秘の景観
高千穂町は宮崎県ですが、熊本との県境にあって、阿蘇の南東のふもとにある町です。
私が高千穂町を訪れたときも、羽田から阿蘇くまもと空港まで行き、そこから高千穂町行きのバスに乗りました。
阿蘇の風景をバスの窓越しに見ながら、二時間ちかく、走ります。
阿蘇は九万年まえに、日本列島のほぼ全域に火山灰を降らすような超巨大噴火を起こしており、高千穂町はそのときの火砕流でできた台地に位置しています。
高千穂町を代表する景観は、阿蘇火山の噴火によって形成された柱状節理です。
高千穂町には火山にかかわる風景があり、アマテラスの物語が神楽として演じられています。
もちろん、天孫降臨の伝説地のひとつとしても古来、有名なところです。
火山と古事記をテーマとする取材旅行ではなく、観光で訪れただけの高千穂町ですが、阿蘇火山がつくりあげた風景はきわめて印象的でした。
十年、ひと昔。こんな時代です。
高千穂町の天岩戸神社の宮司・佐藤延生さんによるこんなコメントによって、火山と古事記神話のつながりが語られていることがわかります。
これ全部この地方の岩というのはこれは 阿蘇山から流れ出た溶岩でございます。
ですのでそういう溶岩が、このあたりまで流れ出て来る程の大きな爆発が何回かあって そのひとつが人間と話でずっと伝えられて、で、後々人間の神様が登場してきて人間の神様とこの阿蘇山の爆発が合体して 語られていって日本書紀、古事記の神話の中に 書かれていると。