桃山堂ブログ

歴史、地質と地理、伝承と神話

「学芸員はがん」発言の背景──観光をめぐる地域社会の過剰でゆがんだ期待

 「学芸員はがん」という発言で問題となった山本幸三・地方創生担当相は、博物館、美術館の学芸員に、「観光マインド」──つまり、集客努力が必要だと主張しています。 

単なる政治家の失言というだけですまない厄介な問題だとおもうのは、学芸員に集客や観光PRを期待する声は以前からあって、近年、一段と勢力を増しているように見えるからです。

地域社会から、たちの悪い「観光マインド」を求められ、困惑していた学芸員、自治体の研究職の人たちを見たことがあるので、山本大臣の発言を考えるデータとして報告したいとおもいます。

 

www.huffingtonpost.jp

 

学芸員の利益相反 

現在、私は個人営業で出版社のまねごとをやっているのですが、大学卒業後は新聞社で記者をやっていたので、博物館、美術館には取材者として出入りしていました。

取材をとおした個人的な経験以上の知見は持ち合わせていませんが、その範囲で書いてみます。

 

 学芸員は、美術、歴史、文学から、生物、地学、天文学まで、それぞれの領域で高度の知識をもつ研究者/専門家であると同時に、博物館や美術館を運営する地方自治体あるいは企業、団体の一員という一面もあります。国立の施設の学芸員なら国家公務員であり、研究者としてもトップクラスです。

 

 地方で活動している学芸員のほとんどは県庁や市役所の職員ですが、自分の専門分野の学会に属する研究者としての顔をあわせもっています。

あるいは、考古学の調査などを担当する市役所、県庁の職員も、研究者であり地方公務員です。

 

研究活動を通して、地域に貢献できれば、お互いにハッピーなのでしょうが、昨今のように、観光客の動員を数値的に期待されると、ひとりの学芸員の中で、研究者としての自己と自治体職員としての自己が「利益相反」を引き起こす恐れが生じます。

 

大統領としてのトランプ氏と企業経営者としてのトランプ氏、この二つの立場に利害の矛盾した場合どうするのだという「利益相反」の問題は、学芸員について典型的な当てはまることです。

自治体職であり研究者である地方在住の学芸員。二つの立場に矛盾が生じて、困惑している現場を、実際に見たことがあります。

 

観光PRか、それとも研究者/専門家としての良心か──

ずいぶん前の話ではありますが、NHK大河ドラマで、ある戦国武将の物語がとりあげられ、例によって各地で関連イベントや展覧会が開かれていました。

 これもまたよくあることですが、その戦国武将の一族の来歴ははっきりせず、先祖伝承が全国各地に残っています。

 

アカデミックな歴史学では史実とされていない話で、テレビで放映された大河ドラマでもとりあげられていないにもかかわらず、虚実のはっきりしない伝承のある複数の地方都市で、大河ドラマに便乗したイベント、展覧会が行われていました。

NHKなどが主催する展覧会が公式イベントであるとすると、文字通り、非公式イベントです。

 

  ◯◯県では、学芸員や研究職の人たちが、展覧会、観光イベントにはある程度、協力して、パネルや資料などで、史実と伝承の違いを注記するという工夫をしていました。

 これはこれでスマートな対応だとおもいます。

同じようなケースに遭遇した場合、学芸員の多くは、そうしてバランスをとっているのではないでしょうか。

 

別の県ですが、観光イベント、PRにはいっさい協力しないというAさんという人がいました。

その当時、五十代で、市役所の組織においては幹部的なポジションでした。

専門家としての自信はもとより、年齢的な重みもあって、協力拒否という強気の対応をとることができたのかもしれません。

 

最初、電話で話したとき、こんなことを言っていました。

「この土地に◯◯氏という武士がいて、戦国武将◯◯△△の先祖であるという話もありますが、信頼できる史料によって考えると、その可能性はほとんどありません。市役所の観光関係部局、地元の観光業者が、大河ドラマに便乗できる千載一遇のチャンスと考えるのはわかりますが、私の立場で、誤った伝承を根拠とする観光イベントに協力することはできません」

 

市役所内部、あるいは地域社会のなかで、なにかと面倒なのではないでしょうか──と私は質問しました。

「たしかに針のむしろです。大河ドラマが終わるまで、じっと我慢するしかないとおもっています」

 

トンデモ観光イベントに暴走する地域社会

実は電話で話をしていた時、私は、専門家としての良心はわかるけれど、すこし意固地すぎないか──そんな感想をもっていました。

大河ドラマに便乗して、ちょっとしたイベントをやるくらい、いいんじゃないの? という認識だったのです。

 

史実とはいえないとしても、伝説・伝承のたぐいは無視できないほどあって、それはそれで歴史マニアの興味をひくものであるからです。

 

しかし、実際に現地に行ってみると、もし、私が学芸員や自治体の研究職であったとしたら、相当、つらい状況だなあ、と思わざるをえませんでした。

 

町じゅうにのぼり旗がひるがえり、すっかり、お祭り騒ぎになっていたからです。

そこかしこに立てられている真新しいパネルには、不確かな伝承でしかないことが史実であるかのように書かれ、立派な石碑まで新設され、その手のことが彫られていました。

 

両論併記的な書き方をして、史実と伝承をわけて説明するべきだとおもうのですが、すべて断定調の文章です。

 

どこかの独裁国家ならともかく、現代日本の光景です。

あまりにも、自分たちの地元に都合のいい、歴史解釈はかえってマイナスの印象を与えかねないのに──と心配になってしまいました。

ちょっとゆがんだ意味ですが、実に興味深いパネルと石碑でした。

 

官民をあげた観光PRの成果なのでしょうが、いつもはその地域で見かけることのない大型観光バスが、毎日のように来ていたようです。

でも、そこから実りある展開が生まれたという話は、残念ながら耳にしません。NHK大河ドラマに便乗したあの観光イベントが一過性のものであったことは明らかです。

 

百台だか二百台だか聞いていませんが、大型観光バスが来たのですから、大河ドラマ便乗企画は成功だったのでしょうか。

私の勝手な感想でしかないのですが、どのような観点から判断しても、成功だったとは思えないのです。

 

もちろん、山本大臣はそのような怪しげな観光イベントにまで協力するよう、学芸員に求めているわけではありません。

 

 また、新聞記者時代の私は地域の観光業界も取材先でしたから、地域社会が学芸員や研究職の地方公務員に「観光マインド」を期待する切実な気持ちがわからないわけではありません。

それが一〇〇パーセント悪いと言うつもりはないのですが、集客数や経済効果に結び付ける議論には危ういものを感じます。

 

NHK大河ドラマをめぐる地域社会の暴走は、極端な事例かもしれません。

しかし、イベントによる観光客の誘致は常態化しており、そこに学芸員や研究職の人たちがかかわるのも珍しくはないでしょう。

 

一人でも観光客を増やしたい観光業界からすると、学芸員や研究職の人たちの対応は腰が引けて、非協力的に見えるはずです。その気持ちもよくわかります。

山本大臣の耳には、そうした観光関係者の不満の声が入っており、それによって、学芸員に対する心証が形成され、当の問題発言に結びついたのではないか──。

私のまったくの憶測でしかないのですが、そのあたりに問題発言の<根っこ>がある気配を感じます。

 

ずいぶん前の話で、Aさんは定年退職して久しく、もう時効であろうと判断して、ここに書かせていただいた次第です。

ことの性質上、話をぼやかしたうえで、少しだけごまかしの表現もあります。

電話での会話については、メモや録音をきちんと残しているわけではないので、私の記憶にもとづく再現ですから正確ではありませんが、話の趣旨を伝えることはできたとおもいます。

 

レベルの高い、<学び>の観光モデル?

学芸員の社会的な存在意義は、調査・研究をとおして、地域社会の知的な資産を充実させることであって、集客や観光PRはそれに付随するものであるはずです。

 

もし、学芸員、研究職に「観光マインド」を求めるとしたら、名所旧跡めぐり、温泉、グルメ、土産物屋にとどまらない、<学び>を起点とする、レベルの高い、未来的な観光モデルを考えてほしいものです。

 

学術的な知見によって、住民も気づいていない地域の価値に光をあて、訪れる人を現実世界の再発見に導くような──というと大げさですが、知的な刺激に充ちた観光のPRであれば大歓迎です。

 

長い目でみれば、それが地域社会の魅力を高めて、観光にも好影響をもたらすとおもうのですが、どうでしょうか。

 

でも、これは、山本大臣の求める「観光マインド」より、さらに難しいテーマかもしれません。

勝手なことをいろいろ書いて、結局のところ、学芸員の仕事をさらに増やそうとしているだけなのかもしれません。