アマゾン在庫切れ! お急ぎの方は、電子書籍をお試しください。
二〇一七年四月十一日午後一時現在、アマゾンのサイトで、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』は在庫切れ状態の表示になっています。
アマゾンで購入を検討していただいている方には、お詫び申し上げます。
先週末に一回、在庫切れの表示になって、一度、回復しました。
ありがたいことですが、その分は売れてしまったようで、昨日十日にアマゾンサイトを見たところ、再び、在庫切れになっていました。
先週末、版元の文藝春秋社に問い合わせたところ、在庫が少なくなってきたので増刷をかけたところ、アマゾンでは売れてしまい、補充するまで在庫切れの表示になるということのようです。
私は小さな出版社を運営しているので、アマゾンの在庫切れ問題ではいろいろ難儀な思いをしているのですが、著者という立場では、また違った感覚で、やきもきしてしまいます。
ただ、この作品の場合、すでに電子書籍版が刊行されているので、お急ぎの方には、電子書籍をお勧めさせていただきます。
電子書籍を利用していない人は、私のまわりにもずいぶんいるのですが、いまや、スマホで読むのが主流ですから、使い出すと、意外と便利です。
『火山で読み解く古事記の謎』の電子書籍版は、アマゾンキンドルだけでなく、楽天コボ、紀伊国屋書店系キノッピーなど主なストアで提供されています。
冒頭部分を抜粋したサンプル版は、無料で提供されているので、これを機会に、ぜひ、お試しください。
夢みるように読む──『火山で読み解く古事記の謎』の正しい読み方!?
前々回のエントリーで紹介した書評記事は、大学時代の友人に書いてもらった「内輪ぼめ」だったのですが、こちらは、まったく面識のない人が書いてくれたものです。『火山で読み解く古事記の謎』をどのように購入し、どのように読んでいただいたかがわかる貴重なデータなので、無許可でもうしわけないのですが、話題とさせていただきます。
火山で読み解く古事記の謎 | A HARD DAY’S BLOG
購入に至る背景
文春新書『火山で読み解く古事記の謎』の場合、私は著者として原稿を書いただけで、営業的なことには関与していないのですが、個人営業で出版社のまねごとをやっているので、本をどのように買っていただき、どのように読んでもらうのか、ものすごく関心があります。
最近定期的に新書を買って読むようにしています。かつてはどうしても昭和の陸海軍検証ものが多かったのですが、今は現代の世界情勢ものも読むようにしています。
そして2週間前に本屋でどれにしようかな、と本棚を眺めていて目に入ったのがこれです。
思わず、「ありがとうございます!」と叫んでしまいそうですが、冷静になって、分析するならば、アマゾンなどネット書店ではなく、ふつうの本屋さんで購入いただいたことにまず、注目します。
新書のコーナーで、何か面白そうな本はないかなと、探していたことがわかります。
小学生の頃に歴史漫画を読んでいたせいか、中学校の日本史は自然に覚えていた感じで全然苦労しなかったのですが、高校に入ってからの日本史はやたら長ったらしい仏像の名前ばかり出てきて一気に興味を無くしました。
実際高校の期末テストではいつも40点台でした。
そんな事も思い出しつつ読み始めたら、意外に面白かったです。
古事記や日本書記の神々の物語とその舞台が日本列島の火山地帯とその活動と密接に関連しているという説をいろいろ検証していて、ふーむ、なるほど、と感心しながら読みました。
私の場合、同じような名前の藤原氏がうじゃうじゃ登場するのが嫌で、高校時代は世界史と倫理社会(という教科が今あるのかどうか?)の方が好きでした。
このブログの筆者さんが、日本史マニアとか古事記オタクのような人でないことは確かですが、手に取っていただき、「ふーむ、なるほど」というリズムで読んでもらえてありがたいです。
新幹線のうつらうつら
このブログ記事が面白いのは、読んでいる場所と状況が正確に書かれていることです。
3月末の大阪出張の行き帰りに電車の中でも睡眠を挟みつつも随分読み進みました。
読んでいる本がつまらないので、活字をおっているうちに睡魔に襲われるということは誰にとってもよくあることだと思います。
たぶん、新幹線だとおもうのですが、うつらうつらしながら読んで、「意外に面白かったです」と言っていただけるのは、とてもうれしいほめ言葉です。
古事記は日本列島人の夢か
このブログの書評記事を読んでいて、思い出したことがあります。
神話というものはひとつの国民の夢のようなものだ──というような言葉を読んだ記憶があるのですが、誰の言葉が思い出せず、詩人だろうか、それとも哲学者かと考えつつ、ネットで検索してみたら、次のような言葉がありました。
夢は睡眠者の私的な神話であり、神話は諸民族の覚醒夢である。
フロイトの言葉だと書いていますが、引用文献が出ていません。
なんかユングっぽい言葉だともおもえますが、私はフロイトもユングもきんと読んでいないので、誰かの本の引用が、ぼんやりとした記憶として残っていたのだとおもいます。
古事記が日本列島の住民の夢の記録であるならば、新幹線のうつらうつらの夢のつづきのように、『火山で読み解く古事記の謎』を読んでいただいたことは、なんとも光栄なことです。
そして、夢みるように読むことは、古事記神話の正しい読み方ではないかという気もしてきます。
ところで、この書評記事を載せていただいたブログのタイトルは
"A HARD DAY’S BLOG"。
ビートルズ好きで、かつ、ジョン・レノン派だな、ということがわかる傑作ブログタイトルです。
A HARD DAY’S BLOG - バイトくんの記事一覧
数十年まえ、バイト先の会社で送別会をしてもらったときに、黒い財布を贈られたという思い出の記録。とてもいい話です。
桃山堂刊『火山と日本の神話』の電子書籍について
昨年(二〇一六年)二月に桃山堂から刊行した『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』の電子書籍化は諸々の事情ですっかり、遅くなってしまいました。今回は、『火山と日本の神話』の電子版について紹介したいとおもいます。
刊行を送らせたコバンザメ精神
昨年二月に『火山と日本の神話』を出したあと、かねてより準備をすすめていた電子書籍のプランを実現に移すべく、本格的な作業に着手しました。
電子書籍の<作り方>みたいな基本的なことを学びつつの準備でしたので、モタモタしてしまったのですが、昨年十二月には、「秀吉伝説集成」というタイトルで、五作を同時刊行しました。
秀吉伝説集成2 尾張中村 日の宮伝説 大坂夏の陣のあと、秀吉のふるさとは消滅した
- 作者: 横地清
- 出版社/メーカー: 桃山堂
- 発売日: 2016/12/01
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
『秀吉と翼の犬の伝説』は私が書いた作品ですが、『尾張中村日の宮伝説』は名古屋の郷土史家、横地清さんの論考です。
取材、執筆、編集から、電子書籍のEPUB作成まで、私がひとりでやっている家内制手工業です。
電子書籍の制作に没頭していた昨年十月、『火山と日本の神話』を読んでくれた文藝春秋社の編集者とのあいだで、この本のテーマを広げて、よりわかりやすい本にできないかという話をはじめています。
本来の計画であれば、「秀吉伝説集成」のすぐあとに、『火山と日本の神話』の電子書籍版を出すつもりでした。
しかし、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』を今年二〇一七年三月に出すことになったので、その刊行にあわせたほうがいいだろうと思って、ほぼ同時期の発売になりました。
便乗商法といいますか、コバンザメ精神といいますか、セコい商売っ気もあるのですが、それとともに、『火山で読み解く古事記の謎』の執筆のために、さらに取材や資料収集をすすめたので、新しいデータをもとに『火山と日本の神話』をブラッシュアップして、紙の本とは少し違った内容にできないかということも考えていたからです。
紙の本と電子書籍の本文テキストは違ってもいいのか?
結果的にいえば、原稿については、誤字脱字誤植を修正する程度の小幅な変更にとどめました。
同じタイトルの紙の本、電子書籍で、本文の内容が違うのは望ましくないのではないかと判断したからです。
ただ、これについては、まだ迷っていて、紙の本と電子書籍は、同じタイトルであっても、本文テキストが違っていてもいいのではないかという気持ちも一方にあります。
単純な話として、スマホで読む人が大半を占める電子書籍と紙の本の文章スタイルが同じでいいはずがない──という疑問があります。
そうであるなら、同じタイトル、同じ内容の本であっても、電子書籍でのリーディングに最適化した文章スタイルによる別バージョンが望ましいはずです。
でも、コスト、手間ひまを考えると、相当、困難であることははっきりしています。
考えだすと、あれこれ疑問や課題が浮かんでくるので、日を改めて考えてみます。
あと、写真については、新しく撮影した写真をふくめて、枚数を増やして充実させています。
コストを気にせず、カラーの写真をつかえるのは電子書籍の大きなメリットなので、それをいかすためです。
それと、私が執筆する編者による「あとがき」を一部、書きかえました。
以下のような内容です。
電子版のためのあとがき
桃山堂 蒲池明弘
二〇一六年二月、『火山と日本の神話──亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論』を紙の本として出版したあと、いくつかの新聞、雑誌に書評や紹介記事を掲載していただきました。
「ユーラシアからアジアへと連なる観念の地勢図」(図書新聞)、
「私たちが足元の大地を学際的に捉えるヒントを与えてくれる本」(島根県の地方新聞・山陰中央新報)、
「火山活動は実は、古くから日本人の精神に大きな影響を及ぼしてきた」(日本経済新聞)
など、さまざまな切り口から好意的に論評していただきました。
意外な反響は、この本を読んでくれた文藝春秋社の編集者から、このテーマを展開して、火山と古事記のルポルタージュのような作品を書けないかという誘いをうけたことです。『火山と日本の神話』の編集をとおして知ったデータや取材の過程でかんがえたことなどをもとにして、一冊の本にまとめました。文春新書の一冊として、二〇一七年三月に刊行された『火山で読み解く古事記の謎』です。
古事記神話に火山の記憶を見る人はまだまだ少数派だとおもいます。そうしたなか、ワノフスキーの古事記論への共感が少しずつではありますが、広がりつつあるという手ごたえを感じているところです。
いわゆる「内輪ぼめ」ですが、『火山で読み解く古事記の謎』、書評の紹介
大学時代の友人が、文春新書『火山で読み解く古事記の謎』の書評をウェブサイトに掲載してくれました。まあ、はっきり言って、典型的な「内輪ぼめ」です。書評のほうは割り引いて読んでいただく必要がありそうですが、ユニークなサイトなのでそちらの紹介も兼ねて、話題とさせてもらいます。
古事記は縄文火山の記憶の書でもあるという面白い本が出た: 趣味的偏屈アート雑誌風同人誌
「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」というサイト名がすでに変わっています。
匿名の複数メンバーによって運営しているサイトのようですが、友人のほかのメンバーについては何も知りません。
書評を書いてくれた友人は、五〇代、男性。
ある筋では有名人です。
若いころに書いた本が高く評価され、文庫本的に復刊されて流通しています。
私の百倍は本を読んでいるとおもいます。あるいは、もっとかもしれません。
その友人が、『火山で読み解く古事記の謎』をこのように紹介してくれました。
読み始めてすぐ気づいたのは、読書感が、自然科学館やプラネタリウムで上手な解説者に案内されながら展示を見るのに似ていること。
それも、そこいらのじゃなく、ニューヨークのアメリカ自然史博物館のプラネタリウムとかだ。すごく作りがよくて、見ているうちに感動で泣いちゃうやつ!
蒲池さん自身は「数学がまったくダメでしたから」と書いておられるが、なんの、科学的な発想と論理こそが、この本のテーマを面白く読ませているツボだ。
躍動的で繊細な、なんとみごとな「ほめ言葉」なのでしょう!
私が偶然、このネット書評を読んでしまったら、衝動的に、アマゾンに注文をしてしまいそうです。
繰り返しますが、この記事はいわゆる「内輪ぼめ」です。眉にはたっぷり唾をつけてください。
「内輪ぼめ」など、けしてほめられた行為ではないのかもしれませんが、美点があるとしたら、当然のことですが、お互いを知っているということです。
この書評記事も、思い切って、ほめあげた上で、
「こんなこと書いているけど、どうなの?」
みたいな、問いかけというか、謎かけというか、難しいボールを投げ返しています。
神々の物語は火山の物語である、という説がもし一片なりと正しさを持つならば、それは確かに天皇の問題に結びついている。(中略)
もちろんこれは「国家神道」に結びつくから、公然と議論はできないことになっている。前段も、わたしの想像の域を出ない。
ただ、八百万の神とは、万物に神が宿るということより、人がそれぞれに固有の守護神を持っているということではないか。その助けを借り、自然災害だらけの島で生きのびて、たび重なる天変地異ゆえにもたらされもする、自然の「恵み」をしたたかに得ていこうとする「信仰」の形ではないだろうか。
その「ひとそれぞれの神々」への「呼びかけ」が、天皇の、重要ではあるが単なる、機能であるはずだ。
文藝春秋社の担当編集者さんが、「このネット書評を書いた人、いったい、何者ですか?」と驚愕していましたが、たしかに書く技術もその背景にみえる教養もただ者ではない感じです。
「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」は、そうした謎の知識人集団によるウェブサイトなので、口コミ的に人気がでて、一日、何百人単位でサイトを訪問する人がいるそうです。
ネットの売れ筋とは真逆の硬い内容の長い記事で、ビジュアル的な演出も、ネット的な集客の気配もないのに、よくそんなに人が集まるものだ──と感心してしまうのは、私がやっているこの「桃山堂ブログ」がずっと低空飛行をつづけているからでもあるわけですが……。
「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」のレベルと方向性がうかがえる記事があります。
執筆者は私の友人とは別のメンバーで、どのような方かまったく存じ上げないのですが、なにかの分野のプロなのだろうとおもいます。
ケネス・バーク(Kenneth Burke)、異端のすすめ: 趣味的偏屈アート雑誌風同人誌
教養のなさを露呈するようですが、私はケネス・バークという人を知りませんでした。
でも、この記事を読んで、ケネス・バークという人が半世紀以上も前に提示した論点が、より鮮明になっているということは理解できました。
このような読書的な学び/発見が、本や雑誌や新聞ではなく、インターネット上の文字によってもたらされる機会が、最近、とみに増えています。
単にネットを見ている時間が増えただけかもしれませんが、そうとばかりは言えないはずです。
日本語によるインターネット世界は、さまざまな愚行が散見される一方で、想像もできないような<豊かさ>を持ちはじめているのではないか──そんな楽観論に一票を投じたい気持ちに傾きつつあります。
「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」も、そうした直感に結びつくデータのひとつです。
「内輪ぼめ」の返礼だと思われそうですが、百聞は一見にしかず、「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」で気になる記事を読んでみてください。
どの記事にも一種の緊張感があるのは歴然としています。
ヘタな記事を書いたら許さんぞ──、そうした同人誌的な暗黙の了解があるのかもしれません。
安易な書き方に流れがちな「桃山堂ブログ」の執筆者としては、これもまた、反省です。