邪馬台国連合のナンバー2、伊都国に漂う濃厚な朱の気配
2世紀から3世紀にかけての日本列島には、邪馬台国を盟主とする連合国家があったことが、「魏志倭人伝」にしるされています。
30か国ほどの連合国家のうち、ナンバー2といえるのが伊都国(いとこく)です。福岡県糸島市にあたることが確実視されているのは、この時代の糸島市エリアは、突出した繁栄の痕跡をのこしているからです。
全国でも唯一(?)、高校付属の歴史博物館
文春新書『邪馬台国は「朱の王国」だった』の取材のため、九州各地を歩きましたが、朱にかんする遺物を最も多く見ることができたのは県立糸島高校(福岡県糸島市)に付属する博物館でした。この事実は、伊都国が朱の歴史にふかく関与していたことと無関係ではないはずです。
糸島高校の校舎のなかに、国の法律(博物館法)の基準を満たした博物館があります。
一般公開はされていないので、見学には事前の電話予約が必要です。
古墳内部から出土した朱とともに、「朱一匁、金一匁」という言葉が紹介されています。
朱(辰砂、硫化水銀)で品質の良いものは、金に匹敵する価値があったということを物語っています。
甕棺の内部は朱で彩られている。
朱で彩色した壺。
銅鏡にまで朱が塗られている。
朱の鉱物を磨りつぶして、粉状にするための道具。
古墳に敷きつめられていた粒子状の朱。
伝説の考古学者、原田大六
糸島高校の前身となる旧制中学の卒業生である原田大六氏は、在野の考古学者ですが、弥生時代の研究では全国に知られた存在でした。
古代史好きの人にはお馴染みの<伝説の考古学者>です。
糸島高校に「歴史部」というクラブ活動があり、原田氏の発掘調査にも協力しながら、教師と生徒たちが、独自に考古学の発掘調査をすすめていました。
今では考えられないことですが、戦後しばらくのあいだ、地元の自治体に考古学の調査をおこなう体制が整っていなかったからです。
その成果がこの博物館の展示物です。
糸島市立伊都国歴史博物館のまえに、原田大六氏の銅像がありました。
<伝説の考古学者>は郷土の偉人です。
弥生時代の墳墓である平原遺跡一号墳、いわゆる「平原王墓」です。
この遺跡の発掘調査の責任者が原田大六氏でした。
三十枚を超える銅鏡が出土し、そのなかには全国最大の大鏡もふくまれています。
副葬品から埋葬者は女性であるとみられており、九州の考古学者、高島忠平氏は、卑弥呼の墓である可能性にも言及しています。
この墳墓の内部も、朱(辰砂)によってみたされていました。
伊都国に漂う朱の気配は濃厚です。
(糸島高校の博物館は、校舎内ですが、事前に電話予約をしておけば、見学できるそうです)