古墳時代に大流行した「朱(あか)い墓」
文春新書『邪馬台国は「朱の王国」だった』でとりあげた話題を、写真をつかって紹介する企画の第三回は「朱の墓」です。
前方後円墳をはじめとする豪華な古墳を特徴づけるひとつとして、朱(辰砂、硫化水銀)による装飾があります。
「朱一匁、金一匁」という言葉もあるとおり、古代における朱はマネー的な価値をもっていましたから、朱をぜいたくに使った埋葬空間は、ありあまるような朱の存在と圧倒的な「富」を実証するものです。
これまで発掘調査がなされた古墳の内部空間のうち、最も大量の朱が確認されているのが、上の写真の桜井市外山の桜井茶臼山古墳です。
石室は、高さ一・七メートル。四角い石がレンガ状につみあげられ、その全面が朱で覆われていました。
一九四九年の奈良県教育委員会による調査の報告書では、「石室を構成する大小石材のすべてを全面的に多量の朱彩があって、壁面として露われない部分にまで塗抹され、全く美麗にして我が国竪穴式石室の現存するものの中、最も貴重な一つとして考えられる」と熱気をおびた口調で、内部のようすを伝えています。
二〇〇九年の再調査によって、石室に使用された朱の量が、二〇〇キロを超えることが判明しています。
茶臼山古墳は多武峰を中心に広がる朱の山のふもとにあり、山すその微高地をいかして前方後円墳が築かれています。
全長二〇七メートル。その大きさは天皇陵に匹敵する規模ですが、埋葬者は不明です。
桜井駅から歩いて十五分程度です。
遊歩道というほど整備されたものではありませんが、古墳のまわりをめぐり、墳丘のうえを歩くこともできます。
残念ながら、朱に彩られた石室内部を見ることはできません。
こちらの「朱の墓」は、復元されたものです。
奈良県天理市の黒塚古墳の内部状況を、隣接する資料館で復元展示しています。
もっとも、この古墳では、朱(辰砂)だけでなく、色合い、経済価値ともに劣るベンガラ(酸化鉄)の赤も使われていたそうです。
黒塚古墳は三十枚を超える三角縁神獣鏡が出土し、「卑弥呼の鏡では?」と、たいへんな話題になったところです。
防犯上の理由で、この資料館にあるのはレプリカ。
本物は橿原考古学研究所にあるそうです。